Thursday, March 03, 2011

英国王のスピーチ(原題"The King's Speech")映画評



英国王ジョージ6世が、吃音というハンディキャップを乗り越え、第二次大戦開戦(対ドイツ宣戦布告)を世界に向けて(当時世界の4分の1は大英帝国領であった)ラジオ放送するまでの物語。

開戦の1939年のラジオ放送が「ゴール」であるかのように(まさに映画のように!)、「友人」である吃音治療の専門家である吃音を克服していったのは脚色かもしれないが、歴史を描いた映画に脚色はつきもの、無粋なことは言わない。

トイレの近い僕にとって2時間は結構な長さだが(コーヒーの飲み過ぎかもしれない)、時間が経つのを忘れるくらいに堪能することができた。たびたび劇場でくすくすと笑い声がこぼれるくらいにあちこちに散りばめられたイギリス流ユーモアはどれも可笑しかったし、少しずつ明かされていく吃音の原因(であろうと思われる事実)と少しずつ吃音が改善されていく様子にすっかり引き込まれた。そして何より、治療者とジョージ6世(即位する前はヨーク公爵)の「友情」が深まっていくのを見ているのがとても愉しかったのだ。(治療者は、国王の子息である彼に、初めから互いをファーストネームの愛称で呼ぶように要求したのだ!)吃音のジョージ6世を演じるコリン・ファースがさすがアカデミー主演男優賞を受賞しただけあってすばらしいし、治療者であり彼の友人であるジェフリー・ラッシュの演技は円熟の域だった。

参考になる史実を確認しておくと、彼の父であるジョージ5世は、1932年にクリスマス放送を開始、「国内聴取率91%、海外からの大反響によって国王のクリスマス放送は恒例行事となった。193556日、(ジョージ5世の)在位25周年を祝う『タイムズ』社説は、「国王は国民に対し、父親が子供に対するように話しかけ、ついにはその顔と同じくらいその声が知られるようになった」ことを称えた。「イギリス王室の国民化」はここに完成する…王室の伝統とニューメディアの結合が、この大変動期にあってイギリス国民に心理的安定感を与えたことはまちがいない」。(佐藤卓己 現代メディア史pp.155-56)「この戦争を通じて、BBC放送の英語が標準英語と理解されるようになった」(同前p.157)(今日にあって、「標準英語」という語には個人的には違和を感じるが、しかし、当時においては、総動員体制に寄与した重要な概念であったことは想像に難くない)。

ラジオを通して統一される国民意識、やがて大戦に総動員されることになる国民意識の焦点にあった王は、戦後も立憲君主としての役割を全うし、今日でも尊敬されているという。ひょっとしたら事実は、内面に深い孤独(に加え無力感)を抱えていたのかもしれないが、愛する家族と、味わい深い個性をもった治療者との(ときにユーモラスな)交流に心がほっこりと温かくなった。

映画を飾ったモーツァルトのクラリネット協奏曲(K.622 mvt2)や、ベートーヴェンの交響曲第7(mvt2)も印象深く、聴きなおすと自然にこの映画を思い出す。32日、すてきな映画を観て、神戸のシネ・リーブル(単館系劇場)で至福の時間を過ごすことができた。

 ちなみに映画で描かれていた、1939年のジョージ6世の宣戦布告を告げるラジオ放送は以下で聴くことができます。

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