Thursday, January 27, 2011

『気狂いピエロ』("Pierrot le Fou")映画評


結婚している男と、かつての男の愛人の女との不倫と逃避行を描いた、ジャン・リュック・ゴダールの1965年の作品。美しい構図が印象的で、場面場面に応じて工夫された色使いと光のコントラストが駆使されている。どの場面も美しい一枚の絵のようで、この映画を観ていると、美術館の絵の中の愛し合う男女を、あるいは夏のフランスを、コマ回しで見ているようだ。――煙草をくゆらす男、フランスの緑の木々と、その中を歩む男と女、陽光を受けて輝く海面。モーツァルトを流しながら二人が走らせるオープン・カー、砂埃、青い海に浮かぶ白い船。顔に絵の具を塗った、哀しく滑稽な「気狂いピエロ」――。
男はフェルディナンという名前がありながら、女からは「ピエロ」としか呼んでもらえない。男はその度に自分の名で訂正するのだが(哀しくて滑稽だ)、最後まで女から固有名で呼ばれることなく、したがって男はピエロでしかありえなかった。煙草をふかし、抽象的思弁に「生きる」男は、女が意味するところの人生を生きる男ではなかった。あるいは、女は、男に理解できる存在ではなかった。それぞれの半ば詩的な独白は、互いが理解しあうことの不可能性を確信させる。
 これは男性的な見方かもしれないが、思わず「セ・ラ・ヴィ(それが人生だ)」と同意したくなる。もちろん、この作品はひとつの極端な男女関係を描いているのだが、逆説的にもそのことを通してこそ、普遍的で本質的な部分を提示しているのだ。哀しく、美しく、そして少し滑稽なこの映画は、ゴダールが、映画という極端によって、抽象的観念かつ具体的現実である「人生」について、その両極をそれぞれ男と女に背負わせることで、ほんの少しでも普遍化しようとする試みであったのかもしれない。




Kill Bill Vol. 1 映画評


先ほどVol. 1を観終わったばかりですが、『キル・ビル』は、人気があったからVol. 2が作られたわけではなく、初めからVol. 2で内容が完結するよう意図されています。だから、Vol. 1は物語の途中で終わってしまうので注意が必要です。

さらに、注意が必要なのが、これは主に日本刀を使った復讐劇で、かなり血が流れます。腕とか足とか頭とかがバサバサ切り落とされます。だから、そういうのが嫌いな人は、気分が悪くなるだけだと思います。

Vol. 1
は主に東京が舞台です。日本のサブカルチャーをこよなく愛するタランティーノ監督の、いつもの悪ふざけ(ほとんど悪趣味と言ってもいいかもしれないけれど)を楽しむことができました。ドラマと時代劇と品の悪いギャグ漫画が混ざったような、「悪いんだけど面白い。そして、ときどき笑っちゃうよ」という感じ。絶賛して誰もに薦めるわけにはいかないけれど。

たとえば復讐相手に迫るために、主人公ユマ・サーマンが相手の手下を次々と日本刀で切りつけていくシーン。日本の時代劇と同じく、大人数をひとりでザックザックと片付けていきます。(日本の時代劇と違うのは、腕だとか足だとか首だとかがほんとに切り落ちて、血がブシューって噴き出すところ) で、手下を全部やっつける。彼女の眼下では、彼女に日本刀で切られた男たちが何十人も、苦悶してうごめいてる。ところどころに腕とか足とかが転がってる。いよいよ最後の決闘が始まろうかという、緊迫するはずの場面。ここで、ユマ・サーマンは、ほとんど覚えたてのたどたどしい日本語で、「まだ、命があるもの、それは持って帰るがいいっ!ただし、失くした手足は、置いてって、もらうよ!これはもう、私のもんだ」って宣言。笑っちゃいけないところで笑っちゃいました。

さらに、あとで、Wikipediaを調べてみて知ったけれど、作中、"Pussy Wagon"という名前の車が出てきます。日本語にすると「おんこ車」といったところで、何でこんな名前が与えられてるのか全然分からないのですが、さらに何とこれがタランティーノ監督の私物らしい

他にも、飛行機の中に日本刀を平然と持ち込んでたり、ちょっとした悪ふざけはいっぱいあります。ステレオタイプとしての日本像をコミカルに利用しながらも、日本の任侠劇に出てきそうな本格的なやくざも出てきてうぅぅん、やっぱり、タランティーノ・ワールドです。

作中、アニメーションを使った部分があります。このアイディアは斬新。このアニメーションは実写以上に「グロい」んですが、残酷なシーンを生々しく描くのに、アニメーションもまたすぐれた手段なんだなぁと納得。アニメーションでしか描けないこともあるし。

近いうちにVol. 2も観ます。まだ物語は終わっていないから。



Wednesday, January 26, 2011

英語を添削してもらった


今、ある方が大学院の博士課程に進学する予定で、その試験対策のために過去問の英作文をチェックしていました。研究内容については、まったくの門外漢なのですが。

で、以下が、僕が「直した」ということで書いた英語の一部です。文中の"Ones"は、modern textiles(近代染織品)を指します。


Ones, especially dyed with early synthetic dyes, the use of which was observed in the latter half of the nineteenth century and the early twentieth century, must be paid special attention to, but...

で、以下が、その分野の第一線で活躍する大学院の先生がそれを直したもの。

Especially, special attention should be paid to the textiles dyed with early synthetic dyes dated to the late nineteenth century to the early twentieth century. 

圧倒的にいい英語になってます。僕が助動詞mustを使ったのはケアレスミスだけど(三人称が主語のmustは、「話者の強い主張」を表すのであって、明らかに普遍性があるこの記述の場合は不適切)、それはささいなことで、がらっと構文ごと変わっています。構文ごと修正されたのはここだけだけど、「あぁ、そうだぁ…」と思いました。

英語力の未熟さを痛感したけれど、こういう経験は貴重で愉しいものです。
英語の読めないところ 


 今、Philip Roth"Portnoy's Complaint"という小説を読んでるんですが、難しくて難しくて、全然進みません。
まったく分からないところを含む箇所を引用するので、ご教示くださったら幸いです。引用箇所は、ガラッと話題が変わるところで、前の部分とのつながりはありません。文中「私」はAlex、ユダヤ系アメリカ人です。13歳の頃を回顧して書いていますが、基本的に現在形を遣っています。いわゆる「マザコン」、母の愛は過剰で、私の人格形成にも影響を与えてきたようです。父は勤勉だが恵まれない保険の営業マン。ひどい便秘に苦しんでいます。(ここで頭痛ということばがでてきますが、この小説の中で初めて出てくることばです) ちなみに、God forbid that...は、「神様どうか...でありませんように!」ということ。原型不定詞が使われてるのがミソです。以下引用。赤の太文字のところがよく分からないです。アイディアや考え方を教えてくださったら嬉しいです。


I brace myself now for the whispering. I can spot the whispering coming a mile away. We are about to discuss my father's headaches.
"Alex, he didn't have a headache on him today that he could hardly see straight from it?" She checks, is he out of earshot? God forbid he should hear how critical his condition is, he might claim exaggeration. "He's not going next week for a test for a tumor?"
"He is?"
" 'Bring him in,' the doctor said, 'I'm going to give him a test for a tumor.' "
  Success. I am crying. There is no good reason for me to be crying, but in this household everybody tries to get a good cry in at least once a day. My father, you must understand- as doubtless you do: blackmailers account for a substantial part of the human community, and, I would imagine, of your clientele- my father has been "going" for this tumor test for nearly as long as I can remember. Why his head aches him all the time is, of course, because he is constipated all the time- why he is constipated is because ownership of his intestinal tract is in the hands of the firm of Worry, Fear & Frustration. It is true that a doctor once said to my mother that he would give her husband a test for a tumor- if that would make her happy, is I believe the way that he worded it; he suggested that it would be cheaper, however, and probably more effective for the man to invest in an enema bag. Yet, that I know all this to be so, does not make it any less heartbreaking to imagine my father's skull splitting open from a malignancy.

Sunday, January 23, 2011

Michael Jackson's "This Is It" 映画評


Michael Jackson は死んだが、死んだことが信じられない。束の間、ほんの2時間足らず、彼は甦った。あるいは、彼は生きていたのだと錯覚した。そういう映画だった。 

とは言っても、たとえば戦争映画でよくあるように、生者が、英雄たるべき死者を墓場からむりやり引きずり出したわけではない。この映画は、彼の死によって中止になったThis Is It (ロンドンで開催されるはずだった、彼最後のコンサートの名) のリハーサル風景と、共演者のごくわずかのインタビュー(彼が生きているときのものだろう)をもとに構成されている。だから、観客はいない。ライブ以上の演出があるわけではない。ただ、リハーサルのときの「完璧主義で」「フレンドリーで謙虚な」MJを淡々と映し出すだけだ。すばらしい音楽、彼の手足(extensions)となったかのようなダンサーたちとのぞくぞくするほどのダンスに、彼は懇切に創意工夫を加える。現場はいつも温かい雰囲気で、皆が彼を心底尊敬している。そんな風景を巧みに切り取って、提示してみせる。 

 だからこそ、彼は今でも、”I’ll be there.” (そこにいるよ)と私たちに語りかけてくる。未完のライブが完遂されることはもうない。でも、だからこそThis Is Itの中のMJもまた、永遠なのだ。





Wednesday, January 19, 2011

The Social Network を観てきました。




僕がSNSを初めて使うようになったのは、SNSが広く知られるようになった頃とさほど変わらない。2003年の冬、僕はロンドンにいたのだが、その時おそらく一番人気のあったFriendsterに登録したのがきっかけだったように思う。Facebookも、当時の友人と連絡を取り合うのを目的に、その黎明期(2003~04)から登録している。 

当時、僕は学生で、Facebookの設立者のマークもまた、学生だった。ハーバード大学からイェール大学、オックスブリッジへと、Facebookが大西洋を渡り利用者が100万人を超え…という頃だった。2003年のイギリスというのは、僕にとって大きな意味を持つから、懐かしさに酔ったところはあると思う。 

それでも、それ以上にこの映画は、観る人を身体ごと引きずり込む力をもっている。大音響のクラブに行ってお酒が入ったときに、身体が自然と動き出すような、そういう引力だ。音響が卓越しているのはもちろん、台詞、物語の進行、映像、すべてが渾然となってリズムが生まれている。さらに、この作品はFacebookの爆発的な拡大以前を描いたものだが、5億人を超える利用者がいる今日のFacebookへの拡大の予感、可能性のもつ躍動感、爆発力への期待もまた、このライブ音楽の重要な旋律となっている。 

だから、この映画は絶対に劇場で観た方がいい。ガンガン音が響く劇場で、大スクリーンに引きずり込まれて欲しい。

Monday, January 17, 2011

Paul Auster "Invisible" 書評




 タイトルの“Invisible”とは、英語で「見えない、不可視の」という意味である。見えないというのは、舞台になっている、1967年のアメリカという表面的な意味にとどまらない。

この「小説」は、抜群に面白いのだが、おそらく戦略的に必然的な矛盾を内在させられていて、読者を困惑に陥れる。一体誰がこの「物語」(あるいは「自叙伝」)を書いたのか。誰が「真実」を語っているのか。どこまでが「真実」か。誰かが事実を語るとは(あるいは語ることができないとは)、一体何を意味するのか。現実と虚構の境界は、この本の内部にあるのか。

本書は、4つの章からなる。

第1章は、この物語の主役であるアダム・ウォーカーが一人称で(つまり、”I”という代名詞で)物語を自分の体験として語る。そこでは、アダムが一生背負うことになる罪の意識(殺人事件の傍らにいたことからくる負い目)について語られる。

第2章で、アダムの執筆の行き詰まりを知った友人(後に”I”と指示される、アダムの友人のジム)の助言を半ば取り入れることで、アダムは物語の人称を変える。つまり、主人公のアダム・ウォーカーを二人称で(つまり”you”という代名詞で)指示することによって、書き手のアダムが、対象(同じくアダム自身)から距離をおき、不可視であった対象に目を凝らす。そこでは、アダムの犯した禁忌(姉との交わり)について語られる。(直截的には、アダムは、この近親相姦をこそ1人称で書くことができなかった。)

第3章は、アダムが死の間際に急いで電文調で書いたものをアダムの友人ジムが物語に形式を整えたという設定で、「私」とはジムである。物語はすべて三人称現在形で語られる。つまり、アダムはAdamであり、heである。この章のクライマックスで、アダムが、第1章での殺人について他者に語ろうとするまさにそのとき、(病床で原稿に取り組む)アダムはそれを書けない。肝心の語りは(語られたことになってはいるが)物語の中では語られず、アダムは(事情、あるいは謀略により)突然留学中のパリを追い出される。ここまでが、アダムが執筆を予定していた『1967』という自叙伝の「春」「夏」「秋」という3つすべての章にあたる箇所である。

第4章は、アダムの死後、ジムを含めた生者の語りである。「私」とはジムで、アダムの姉は近親相姦を否定、書き直しを要求する。(アダムや、アダムの通っていたコロンビア大学など、あらゆる固有名詞は別のものに置き換えられることになる。)2007年に「私」は、書き直しを終え、アダムの語った物語に登場する、パリに住むセシルに会う。セシルとは、アダムがパリで知り合い、アダムに惚れていた女性である。第4章は、「私」に手渡され、公開を許可されたセシルの日記で終わる。


この物語には、さまざまな登場人物の互いに矛盾する言い分があるが、本文のトーンから、「事実はこうに違いない」という素朴な読み方(あるいは必然的思いつき)が1つだけある。それは、主人公のアダムと、書き手である1人称のジムを信じる読み方である。ただし、アダムの姉のグウィンを信じて、近親相姦は創作であるとする。しかし、事態はそれほど単純ではない。アダムの友人ジムは、アダムの書いた物語の固有名詞を書き直したはずだ。アダムは自分の草稿を一部だけジムに送り、死後コンピュータのデータを消去するよう遺言したことになっている。書き手のジムを信じるなら、登場する固有名詞を否定しなければならず(アダムはアダムでなく、コロンビア大学はコロンビア大学ではない。)、これは根源的な矛盾だ。つまり、この物語は、誰によっても語られることが不可能なはずの物語なのだ。

物語の最後、第4章の最終部分で、本書第1章で殺人を犯した人物が(その殺人をアダムは、物語の中では1人称でしか語ることができなかった。第3章では、この語りの場面を、アダムは結局描けなかった)、老後に自叙伝を書こうとしていたこと、彼がその草稿の段階で、セシルの父の死に関わる事柄に触れたことでセシルを激昂させたことは(「真実」に触れたのかもしれない)、この人物の語ることがすべて信用に値しないと切り捨ててはいけないと読者に警告する。さらに彼は、偶然アダムの尊敬した詩人と同じ名前(Born)なのだ。

小説の終結部、つまりセシルの日記は、数十人が石を砕き割る音で終わる。その音は、”the music of the stones was ornate and impossible”(あまたの石を割る音楽は、飾り立てられ、私を超越したものだった)”a fractious, stately harmony”(怒りに燃え、かつ荘厳な調和)と表現される。それは、日記に示唆される意味だけでなく、この物語全体の象徴でもあるのだ。







 Paul Auster "Invisible" 冒頭部分

  すごく謎めいていて魅惑的な小説です。現時点で翻訳はまだ出ていませんが、英語はそんなに難しくありません。(解釈は非常に難解だと思いますが) 英語を読むのがお好きな方はぜひ読んでみてください。以下は、冒頭部分を僕が訳したものです。

  
  僕が初めて彼と握手したのは、1967年の春だ。僕はその時コロンビア大学の2年生で、大の本好きの世間知らず、いつかは自分のことを詩人だと名乗れるくらいにはなるだろうという自信(あるいは妄想)をもっていた。詩というものを読んでいたから、ダンテの描く地獄に、彼と同じ名前の人間がいることは知っていた。『神曲』「地獄篇」の最終部、第28詩を、よろめきくぐり抜けて来た死者だ。ベルトラン・ド・ボーンは12世紀のプロバンスの詩人で、自分の生首を頭髪で動かし、提灯よろしく前後に揺れているのは、その、本一冊分の、一連の幻影と苦難の叙述の中で、とりわけおぞましい光景だ。ダンテはド・ボーンの書き物を熱心に擁護したのであったが、ド・ボーンがヘンリー王子に、父のヘンリー二世へ反旗を揚げるよう進言したことで、ダンテはド・ボーンを永遠の地獄へ落とした。ド・ボーンは父と息子を別ち、敵同士にしたゆえ、ダンテの与えた独創的な懲罰は、ド・ボーンを彼自身と別つことであった。ゆえに、首のない身体は、地下の世界で呻いている。フィレンチェの旅人に、これほどの痛みというものがありえるかと訊きながら。   

  彼が「ラドルフ・ボーンだ」と自己紹介したとき、僕は途端にこの詩人のことを思った。「ベルトランと何か関係がおありですか」と僕は尋ねた。   

  「ああ」と彼は言った。「あの、頭を失くした嫌な奴か。ひょっとしたら、な。でも、それはなさそうだな、悪いけど。「ド」というのがついてない。そのためには高貴な身分じゃないといけないが、哀れにもおれは高貴なんかということとは無縁なんだよ」   

  僕がどうしてそこに行ったのかは覚えていない。誰かが一緒に行こうと誘ったはずだが、それが誰だったかというのは、とうの昔に頭から消えてしまった。どこでそのパーティーがあったのかも思い出せないのだ。住宅街か繁華街か、アパートか工場のロフトか…それに、そもそもどうして招待を受けたのかも記憶にない。当時僕は人の集まりを避ける方で、おしゃべりする人たちのざわめきに苛立ち、知らない人がいるところでは、恥ずかしさに打ちのめされ、まごついていたからだ。でもその夜、説明はできないがとにかく、誘いに乗り、その、記憶にない友達が案内したどこかに出かけて行ったのだ。

○○○○


(原文)

I shook his hand for the first time in the spring of 1967. I was a second-year student at Columbia then, a know-nothing boy with an appetite for books and a belief (or delusion) that one day I would become good enough to call myself a poet, and because I read poetry, I had already met his namesake in Dante's hell, a dead man shuffling through the final verses of the twenty-eighth canto of the Inferno. Bertran de Born, the twelfth-century Provençal poet, carrying his severed head by the hair as it sways back and forth like a lantern--surely one of the most grotesque images in that book-length catalogue of hallucinations and torments. Dante was a staunch defender of de Born's writing, but he condemned him to eternal damnation for having counseled Prince Henry to rebel against his father, King Henry II, and because de Born caused division between father and son and turned them into enemies, Dante's ingenious punishment was to divide de Born from himself. Hence the decapitated body wailing in the underworld, asking the Florentine traveler if any pain could be more terrible than his.
When he introduced himself as Rudolf Born, my thoughts immediately turned to the poet. Any relation to Bertran? I asked.
Ah, he replied, that wretched creature who lost his head. Perhaps, but it doesn't seem likely, I'm afraid. No de. You need to be nobility for that, and the sad truth is I'm anything but noble.
I have no memory of why I was there. Someone must have asked me to go along, but who that person was has long since evaporated from my mind. I can't even recall where the party was held--uptown or downtown, in an apartment or a loft--nor my reason for accepting the invitation in the first place, since I tended to shun large gatherings at that time, put off by the din of chattering crowds, embarrassed by the shyness that would overcome me in the presence of people I didn't know. But that night, inexplicably, I said yes, and off I went with my forgotten friend to wherever it was he took me.

Sunday, January 02, 2011


初日の出

彼女が口をきかなくなってから3日になる。この3日、私は、彼女の気を引こうとふざけた冗談を言ってみたものだが、まるで相手にされなかった。何年も一緒にいるから、彼女が気分屋だということは重々承知だが、年の瀬で周りが慌しいときであったから、彼女の沈黙はいっそう深いものだと感じた。石を投げたら、ぽちゃんと音がするのに少なくとも5秒はかかるかもしれない、と思った。

大晦日になっても、彼女の無口は治らなかった。私は、夜の11時を過ぎてから、二人分の蕎麦を作った。テレビをつけると、テレビの中のケラケラという笑い声がひどく不謹慎なものに響いたので、私は慌ててテレビを消した。部屋は静まり返った。二人は丼ぶり鉢で両手を温め、スープをすすり、ずるずると蕎麦を食べた。時計は、11時30分を少し回ったところだった。
「初日の出が見たい」
と彼女は言った。いいよ、じゃあ、今から出かけよう、今日はずっと電車が動いているからと私は言った。二人は、ジーンズに足を突っ込み、セーターをかぶり、ダウンジャケットを羽織った。彼女は、白いニットのマフラーを巻いて、白いニットの手袋を身につけた。首元がもったりと温かそうだった。

 私たちは、アパートを出た。鉄の扉が、いつもよりも冷たく重かった。ガチャリと鍵を回す音が大きく響いて、私はぎょっとして辺りを見回した。誰もいない。いくつかの窓には灯りがついていたが、人の声はまったく聞こえない。彼女は、鍵を閉める音など気にもかからないというふうに、夜の底で白く温かい息を吐いていた。

 プラットフォームは人でいっぱいで、熱気と笑い声で満たされていた。数分おきに到着する電車が人を飲み込み、階段からは別の人々が次々とその隙間を埋めていった。私は温かい缶コーヒーを飲んで、煙草を吸っていた。彼女は、温かいココアを飲んでいた。二人はプラットフォームの別々の場所で、温かい飲み物を飲んで白い息を吐いていた。二人が一息ついて乗った電車では、向いどうしの席に座ることができた。彼女はすぐにハンドバッグの中から谷崎の『春琴抄』を読み始めた。彼女が本を読んでいるときには、話しかけてはいけない。どんな女性と付き合うときにも、不文律がある。彼女が私に対してどんな不文律を守ってくれているのかは分からないが、彼女も彼女なりに私に気を遣ってくれているのだ。私は、イアフォンをあて、眠くもないのに目を閉じて眠ったような格好をした。ふと薄目を開けると、彼女はまだ同じ小説を読んでいた。腕時計の針は0時25分を指していた。今年も、いつ年が明けたのか見当がつかない。

 三ノ宮が近くなってきたとき、私は彼女に初詣に行きたいかと訊いた。そうだね、行こうかと彼女は言った。三ノ宮駅は、ラッシュアワーのような人ごみだった。若い人たち―私たちより少し年下に見える人たち―の中には、着物を着ている人もいたが、たいてい似合っていなかった。でも、皆例外なく明るく、年明けくらいは仲間たちとはっちゃけたいというようだった。私は彼女の手をとった。白い手袋の上から感じる、脆く小さな手は私の胸を打った。柔らかな手だが、確かな骨の感触と温もりがあった。私はそこにいる彼女を想うと胸が詰まった。彼女を愛していると思った。人ごみは賑々しく、冬の空気は人々の吐く白い息で温められていた。

神社の境内は人でごったがえしていて、ほとんど前に進めなかったので、私たちは、参拝をあきらめた。でも、私たちは人ごみをすこしはずれ、神社に向かって頭を垂れ、手を重ね目を閉じて祈った。屋台でトウモロコシを2つ買った。神さまに何をお願いしたのと訊くと、彼女は何も言わずにトウモロコシにかぶりつきながら微笑んだ。とてもきれいな微笑みだった。2時30分だった。少し早いけれど、須磨の海岸に行こう、あっちで焚き火を熾して温まればいいよと私は言った。

須磨はまだ真っ暗だったが、すでに初日の出を待っている人の姿があった。遠くには焚き火が見えた。私は、湿っていない木切れを探して歩いた。冬の海岸は底冷えする。彼女の歯がカチカチと鳴るのが聞こえた。彼女を待たせてはいけないと思った。すぐに調達できた木切れを重ね、新聞紙を丸めたのに火をつけて放り込んだ。火は、生命を得ることなく消えてしまった。何度やっても同じだった。私は焦った。彼女が、二人で木を探しに行こうと行った。それで、私たちは暗い海岸を、小さな林を歩き(静寂の中で、二人の歯の音がカチカチ、カチカチと鳴った)、小さな木切れから太い木切れまでを二人それぞれが両手で抱えるくらいに集めてきた。

彼女が、木を積み上げた。細い木と太い木が折り重なって、ちょっとした建造物のようだった。彼女が小さな手で新聞紙に火をつけたのを木の中に入れると、煙が立ち、火が熾った。火はぱちぱちと音を立てながら、木々を崩し、力強い生命となった。彼女の顔が、オレンジの光の中に浮き上がった。彼女は「焚き火は簡単じゃないよ」と言って笑った。そうして、手袋をした両手を火にかざした。私も笑って、焚き火に両手をかざした。群青色の空が、夜明けが近いことを告げていた。

海から、太陽がそっと現れた。太陽はぎらぎらと燃えていたが、光は柔らかかった。ゆっくりと確実に、太陽は昇っていった。まるで生きているようだった。古代から太陽が信仰の対象になったのが分かるような気がした。太陽は今日も、光と温もりを、このろくでもない世界に与えるのだと思った。

「赤ちゃんができたと思う」と彼女が言った。私は息を呑んだ。そっと彼女のお腹に右手を当て、次いで、左の耳を当ててみた。「まだお腹がぺったんこだから、いるのが分からないよ」と私は言った。「ゆっくり大きくなるの。確かに、ここにいるのよ」と彼女はお腹の上の私の手を握って言った。温かい金色の光が、二人と新しい命を包んでいた。