Monday, September 19, 2011


電力事業の独占体制こそを見直すべきだ


このEconomist誌の記事は、日本の電力事業における事実が非常に簡明にまとまっている。そして、挙げられているいくつかの事実は、事実として国民に共有されなければならない。以下(a)-(k)は、この記事で挙げられている事実だ。(c)の後半の記述および、原発が稼動しない場合の経済へのインパクトの数値予想(j)を除き、全て客観的事実が述べられてある。


a)日本は、10の電力会社が、それぞれの地域で独占的に電力を供給している。それら10社の電力供給は、総供給の97%に及ぶ。当然、企業独占は、価格を高止まりさせる。(Economist誌の諸外国との電気料金の比較を見よ)
b)市場が競争的であれば、当然、需要のピーク時には価格が上昇し、需給を調節する。電力需給が逼迫していたときでさえそれがなかったのは、ひとえに電力市場が独占的だからである。
c)現在調査中ではあるが、この地震大国で、(津波ではなく)地震が原発に致命的な損害を与えた可能性が高い。(そうであれば、原発の安全神話は嘘である)また、日本の、他の原発がある地域でも、マグニチュード7を超える地震が相当の確率とともに予想されている。
d)国民は、罰金まで課して15%の節電をした。(電気価格のインセンティブによらず、「我慢」と「根性」でだ。)誰もが停電を予想したが、国民の努力によりそれは起きなかった。
e)一方で、東京電力が、メルトダウンの事実を公開したのは事故から9週間経ってからである。夜の関東地方の夜景に穴が開いたような闇を落とした、あの計画停電のとき、東京電力はメルトダウンの事実を否定していた。
f)政府の初動に批判が集中したが、東電の情報隠匿により、首相にすら重要情報がもたらされなかった。菅は、わざわざ怒鳴りつけにまで行ったのだが。
g)東京電力の昨年の広告費は、260億円(!)である。競合他社がいないにも拘わらず、だ。(他の9つの独占的電力会社の広告費を加えるといくらになるんだろうか)
h)電力会社は、政治家、学会、財界に莫大な影響力を持っている。特に、経団連は、既存の電力会社による電力の安定供給をあてにしており、電力の市場開放に反対している。
i)複数の経団連に参加している企業が、財・サービスを電力会社に提供する見返りに、大幅な電力料金の割引を受けている。
j) 原発が稼動しない場合の影響は深刻だ。これはあくまでエコノミスト誌の予想であるが、1年間原発が稼動しなければ、GDPは3.6%下落し、20万の職が失われるという。このシナリオ通りでなくても、これからも原発が凍結されたままであれば、経済に甚大な影響を与えるのは、間違いない。
k)電力業界への新規参入は、現在では規制の網が「悪夢のよう」(孫正義)であり、極めて困難である。

そして、これは僕の付け加えであるが、東京電力がもつマスメディアへの影響力から、当初なかなかこうした事実は報道されなかった。今でも、かなりの部分はそうであろう。

ここで、(a), (b), (g), (h), (k)は、電気料金の高止まりの要因である。

…ここからは私見であるが、市場メカニズムを導入すれば価格が下落するときに、電気料金の高値を託ち、産業の空洞化を憂うのは(つまり経団連の言い分は)、愚かである。原発を一気に廃止することは、その経済に与える影響からできそうにないが、「減(あるいは脱)原発」のを中長期的に推し進めるのと同時に(記事の中で東電社長が言うように、中期的な「減原発」は、東電の公式見解でもある)、電力事業への新規参入にインセンティブを与えるべきだ。発送電網を分離し(http://kotobank.jp/word/%E7%99%BA%E9%80%81%E9%9B%BB%E5%88%86%E9%9B%A2)、他の企業に発電事業に「本格的に」参入させるのはその1歩だ。これは、電力価格を下げるだけではない。電力価格が下がれば(かつ他の条件が同じならば)企業の投資は拡大するはずだ。

そして何より、多くの国民が、東京電力のこれまでの対応および情報の隠匿に苛立ちを覚え、不信を感じているだろうが、これらは、競合他社があり、かつここまで巨大な影響力をもつ企業でなかったとしたら不可能だったはずだ。地震後、「原発は安い」「いや、嘘だ」という議論の食い違いを何度も見たが、これは、そもそも初めから情報がオープンであれば、結局、賠償額の違いにだけ帰着する議論のはずだ。でも、そうはならない。コストや安全性が不透明なのも、事業を独占的に請け負っており、政財界との癒着があるからこそ可能であった。(あの大事故の後ですら、経営陣にほとんど変更がないのだ。これは、まともなことだろうか。) ほんとうに原発がコストが安いのか、電力が、より競争的な市場で供給されるようになってから、改めて検討したらよい。少なくとも、独占企業には、コストを下げるインセンティブはない。価格に上乗せすればいいからだ。

原子力発電は、経済的効率性の追及の産物だという指摘がある。そうかもしれない。そうで「あった」かもしれない。しかし、仮に原発が、経済効率がたとえ非常にすぐれていたとしても、私たちはいまや、それを無尽蔵に濫立させるのを許すはずがないし、事故が起こったときのリスクは、文字通り国がひっくり返るほど大きいことをよく知っているはずだ。

脱原発の声は大きい。賛成だ。だが、それをすぐに達成できる見込みはない。原発からの電力への依存や、原発立地地域の産業を含めた、日本経済の構造全体が、その早急な実施を不可能にしているからだ。そして、その根を辿っていけば、必ず、電力会社の事業独占と、そこから生じる政界・産業界への利権の問題へとたどり着くはずだ。ならば、同時に、電力事業の自由化・独占から生じた弊害も、同じくらい声高に叫ぶほうがいい。少なくとも、独占事業にメスを入れるという意味では、郵政の民営化よりはずっと重要な政治的課題であることは意識しておくべきだ。(2005年、国民はあんなに熱狂したではないか。)

(参考) 
既存の発送電分離の「中途半端さ」および、技術面からの慎重な検討については、たとえば、WSJ日本版のこちらの記事も参照してください。

Sunday, August 21, 2011


 8月21日フジテレビ抗議デモ、ナンセンス。

 今日のお台場のフジテレビ抗議デモ、ジャーナリストの安田浩一@yasudakoichi氏によると、6,000人集まったんだって。
で、デモの様子を撮影した写真を見ると「韓流ゴリ押し やめろ」とか書いたプラカードを持って行進してるんだけど、もー、まったく意味が分からない。そのへんで発情してるネコでも、もう少し良識があるよ。(ニャァ?)

  1.  「イヤなら見なけりゃいい」と一部芸能人が言っていたけどその通り。「見ない」ことが即、「韓流」への反対票を投じることになるのだから。そもそも、民放局は、視聴者を広告主に売るビジネスなんだよ。(だからこそ、あなたたちはタダでフジテレビの番組を見て、文句を垂れることが可能なのだ)

  2. 「ゴリ押し」が意味不明。今では、他に選択肢が、げっぷが出て嘔吐するくらいにたくさんあるじゃないか。(おぇ!)僕を含め、今回の騒動で初めて、フジテレビがたくさん韓国のドラマを放送していたのかと知った人、それで自分のテレビ離れを実感した人は多いと思うよ。

  3. 「公共の電波を使っているから」というのも意味不明。「韓流」を放送することが、日本国内の公序良俗を乱したのか。アメリカの映画だってけっこう放送されてるんじゃないのか?複数の民放局がある中、1つの民放局が、「韓流」を多く放送することが公共の利益にそぐわないとしたら、それはなぜで、どうすれば改善されるのか?


 …結局さ、たとえば、あなたが、市役所に行って、食堂で民間委託の外食産業のパートのおばちゃんが作ったカレーうどんを食べました。美味くないです→『おれは』これが嫌いです→何より、原料の小麦粉が日本産ではない、あれ、韓国産ではないか!→あれ、メニューを見ると、かけうどんに、てんぷらうどんに、ざるうどんに、きつねうどんに…ここの食堂、うどん多すぎ!→『公益に』反する、デモをして抗議をしなければ!!…くらいの話でしょう。あなた方は、今日は礼儀正しかったらしいけれど、その知性の低さは、公共性にとって資するところは何もないです。(発情期のネコくらいに。6,000人もニャー、ニャー、騒がしいし。)

 そのカレーうどんが気に食わないのなら、他のお店で食べなさい。ただし、そのカレーうどんには一定数のファンがいて、利益も上がっていることを忘れずに。日本の老舗の、原材料に国内産のものだけを使っているところを応援しなさい。(ネットがあるからタダで広告できるし。)あるいは、自分でうどんを捏ねてもいいし、それが大変ならば、もう少し簡単な料理を、好きな材料だけで作り、食べなさい。

                               J CASTニュースのウェブサイトより写真を転載

 You shouldn't say it is not good. You should say, you do not like it; and then, you know, you're perfectly safe.
(「良くない」とは言わないほうがいい。「私は好きではない」と言う方がいい。そうすれば、ほら、全く安全だから。)
(James Abbott McNeill Whistler (1834 -1903))

Saturday, August 06, 2011

竹田青嗣『自分を知るための哲学入門』 書評


 「哲学」とは、自分や世界の深淵を覗き込むことができる、高尚な知的営為に違いない、そんな予感から、僕は、高校生の頃には、「哲学」というものに漠然とした憧憬を抱いていたように思う。大学に入学した年に初めて買った哲学書は、カントの『純粋理性批判』であり、経済学の講義で一部分だけが試験範囲になった、マルクスの『資本論』の第一巻だった。それまで、大した読書経験がないのに、自惚れだけは強かったから、日本語で書かれ、長く読み継がれ名著とされてきたこれらの本にまったく歯が立たなかったことに少なからずショックを受けた。後になって、こうした本は独力で読むには、まして高校を出たばかりの18歳の子どもが読むには難しすぎるのであって、指導を受けたり、解説書を傍らに置きながら、仲間たちと協力し合って、長い時間をかけて読むものだということを知ったのだが、いったん「哲学書は極端に難しい」という意識を植え付けられてしまったためか、最近まで、哲学書には、劣等感と憧憬とが入り混じったような変てこな気持ちで接していた。

 大学を出てからは、精神科医が書いた大好きな本の中で何度もニーチェからの引用があったり、興味に迫られて読んだ本の議論が、例えば、J..ミルや、例えば、ボードリヤールや、例えばベルクソン、例えばフーコーなどの思想を基盤としていたりというようなことがあって、いつしか「哲学」は、「いつかはきちんと読まなければならない」という、先延ばしの悪癖のある僕の前に、いつもそこにある宿題としての地位も占めるようになった。

 哲学書だけは買ってあって、なかなか手に取ろうとしない怠慢な僕が、ふと本棚の奥に、昔買ったこの本が眠っているのを見つけて手に取ってみたのは、このような先延ばしに自分でもうんざりし始めてきたときだった。

 この本がユニークなのは、最初の90ページをも使って、僕が上に書いた、哲学書を読むのに逡巡しつつも、憧れだけはどこかでくすぶっている、「あの思い」を、著者が、著者自身にも共通する思いとして、自身の人生体験と重ね合わせながら誠実に綴っていることだ。これだけで、僕はもう魅せられた。

 その後の解説は、ソクラテスやプラトンがどういった意味で独創的だったのか、デカルトやカントが、どのような意味で重要な哲学者であるのか、著者が専門とするフッサールらの現象学とは何か、ニーチェやハイデガーの思想は、それまでの思想の何に反駁したのか、現代思想の抱えるアポリアとは何か…というようなものだ。著者自身が心がけたというように、それらは(知的な読書を妨げない程度に)できるだけ平易に記述されていて、一読すると、哲学は2000年以上も、同じような問題を(たとえば主-客が一致するかどうかという問題などを)原理的なレベルでずっと考え続けてきて、時折現れる大哲学者に問題をひっくり返されてきたのだな、ということがよく分かった。また、例えば、カントやニーチェやフッサールなどの思想の独創性や意義も(この本に書かれてある範囲で)よく分かったが、もし、原典を読む際に、彼らが、それまでの哲学で常識であったどのようなことに説得的に異議を唱えたのか、という歴史的背景の知識がなければ、やはり読んだり理解するのは苦しいだろうな、とも思った。

 現代思想ですぐに読みたいなと思っている本は何冊かあるのだが(特にニーチェとボードリヤールの著作)、竹田の他の著作から、基本的な背景知識を勉強しながらの併読となるかもしれない。平明で興味深い解説書であると同時に、哲学を愛する著者の息吹が聞こえるような、哲学の初学者にとって格好の著作であると思う。



ミラン・クンデラ 『ほんとうの私』 書評


 以前『存在の耐えられない軽さ』と『不滅』を読んだ僕にとっては、この作品はクンデラ3作目となる。本作はハードカバーの翻訳で200ページほどの小品で、前2作が世界文学の中で燦然と輝く大傑作なのに比べると、やや目立たない印象があるかもしれない。それでも、僕は、この作品を非常に丁寧に書かれた、奇妙で、とても面白い小説だと思った。

 原題は、L’identité (『アイデンティティ))。広告会社に勤める、老いの徴候が現れ始めた女性を軸に物語は展開する。彼女と同棲する経済力のない年下の男が奇妙な手紙(匿名で、「私はスパイのようにあなたの後をつけています。あなたは美しい、とっても美しい」と記した手紙)を、彼女にそっと届けたのだが、彼女がそれを自分の下着の中に隠しておいたこと、彼女が次の手紙を楽しみにするようになったことで、彼女は彼にとって、もはや以前の彼女ではなくなってしまった。それは、同時に、彼女自身のアイデンティティが揺らぎ、ますます不確かになり、変質し、最後は崩落の危機に陥ることであった。物語は、アイデンティティの支えがない、もはや現実と幻想とが交錯した場所で終焉を迎える。

匿名のストーカーじみた手紙を受け取り、心ときめいて箪笥のブラジャーの中に隠しておく中年女性は、言うまでもなく、滑稽だ。これは、この作品の中でもあくまで1つの例に過ぎないが、「滑稽」というのは、クンデラの小説を形容するのに、しばしば適切な語だと思う。それは、生と性の哀しみを内包した滑稽さであり、「それでもなお」悲痛に生きていくわれわれを包み、闊達に笑うような滑稽さだ。





Monday, July 11, 2011

黒澤明 『影武者』 映画評



 壮大で迫力ある映像に圧倒される。力強い脚本に呑み込まれる。そして何より、一人の男の演じる「影武者」としての生の儚さに、哀しくなり、同時に心を寄せられる。

 武田信玄亡き後に、信玄の影武者を演じるのは、元盗人。小銭を盗んで磔になるところを、信玄の顔にそっくりだというので、命を助けられ、武田家に連れて来られたのだ。

 影武者は、正体を暴かれないこと、「ほんとうの」自分を極限まで無化することだけが仕事だ。正体がばれてしまえば、用済みだ。偉大なる信玄の亡霊は、彼が生きる唯一のよすがであり、同時に彼をいつでも殺してしまう。彼は、信玄の実の孫を溺愛するようになり、羽目を外した途端、正体を暴かれ、何もかもを捨ててしまうことになる。

 誰にも愛されることがない人間にとっては、「ほんとうの」自分を隠し通すことは、唯一の生きる術ではある。しかし、程度の差こそあれ、私たちは日々、ある意味で自分を無化しつつ、役割を演じながら生きているのだから、そして、私たちも、そうした中でも、少数の気の置けない人との時間を愉しみ、やがて儚くも何もかもが終わってしまうのだから、「影武者」とは私たちでもあるのだ。

 黒澤は、豪胆で魅力ある武人たちを、無数の騎馬を、迫力いっぱいに画面の中で躍らせたが、その前景にいるのは、私たちのような、平凡で、ある意味哀しい生を精一杯生きる、一人の人間なのだ。

Monday, July 04, 2011

村上春樹 『はじめての文学』 書評


 
 タイトルの『はじめての文学』が示しているように、これは、村上氏が、これまで書きためてきた短編を、主に年少者に向けて選び、適宜加筆修正を行ってまとめたものです。

 もっとも、彼は児童文学の作家ではないから、初めから年少者を念頭に書かれた作品は、冒頭の『シドニーのグリーン・ストリート』だけで、後は全て大人の読者に向けて書かれた作品です。

 僕は、彼の小説、短編は全て読んでいますが、特に短編では筋を忘れていたものも多く、肩肘張らない読書の愉悦に浸ることができました。

 この作品集の中では、『踊る小人』と『かえるくん、東京を救う』に胸を締め付けられるような思いをさせられました。両作品とも、非力だけれども、必死に生きる人間が、ときに直面する、あるいは包囲されうる、世界に確かに存在する激しい暴力性をグロテスクに描いています。それは、氏がこれまでも何度も描いてきたテーマですが、村上氏が、「年少者に向けて」これらの作品をも選定したのは、設定が取っ付きやすいだろうという目論見に加え、物語という虚構を通して、現実の世界のすばらしいことも恐ろしいことも語ってみせよう、それが文学というものなのだからとの思いからでしょうか。

 気軽なプレゼントとしても最適な一冊だと思います。

Sunday, July 03, 2011

高橋秀実 『やせれば美人』 書評





著者と、著者の奥さんとの二人三脚でのダイエット奮闘記。思わずふきだしてしまうような可笑しさ、ほんとうは全然やる気がない奥さんへの温かい眼差しと深い愛情、そしてノンフィクション作家としての、手の込んだ下調べ、たくさんの女性への入念な取材と観察眼、すべてが渾然一体となって、極上のエッセイに仕上がっています。とても丁寧に書かれている本ですが、あくまで軽いエッセイ。読み出したら、きっと一気に読みきってしまうと思います。



Thursday, June 23, 2011

大平健 『豊かさの精神病理』&『やさしさの精神病理』 書評


やさしさの精神病理 (岩波新書)



























 『豊かさの精神病理』は初版1990年、『やさしさの精神病理』は初版1995年だ。書かれた時期はそれぞれ、日本がバブル経済のクライマックスにいた頃と、その後の経済の停滞、先の見えない閉塞感が日本を覆っていた頃だから、5年というのは短いようで長い。そして、その長期停滞と、閉塞感の蔓延は今なお継続しているからだろうか、あるいは、私が1990年代半ばから後半に思春期を過ごし自我を形成してきたからだろうか、私にとってより親和性があったのは後者であった。もっとも、モノに振り回されがちな傾向がある人は、前者の方が馴染みやすいかもしれないし、そうでなくても、自分とは違ったタイプの人間の価値観の深みをちょっと覗いてみるのは、なかなかに興味深い体験である。

 両方ともの本が、伝統的な意味合いにおいては「精神病患者」とは呼べないような人たちが、精神科の外来にやってきて、日常のちょっとした困ったこと、悩みを相談するという事例を主題としている。それまでにはなかったような現象ということで、著者は、こうした患者たちを「よろず相談の患者」と名づけている。

 よろず相談の患者たちは、精神医学の意味合いにおいては精神病に分類されるわけではないから、彼ら/彼女たちの悩みは表層的なレベルにとどまっている。が、しかし、患者自身、その葛藤がどこにあるのかなかなか気づくことができない。だから、精神科医の著者が、カウンセリングの手法で、患者自身の「気づき」を、自らによる「答えの発見」を助力する。われわれの日常会話や自己対話にも応用できそうな、人の心の機微を掴んだ巧みなカウンセリングだ。

 『豊かさの精神病理』では、自分自身の内奥についての理解はさっぱりなのに、所有物の話や食べ物の話になるととたんに饒舌になる患者たちが登場する。それは、あたかも、奢侈なモノによってこそ自我が保証され、繋ぎとめられているようだ。私から見ると、そうした人々の浅薄さは悲劇的に映るのだが、彼ら/彼女たち自身は、「ネアカ」の人々だ。だからこそ、著者は、そうした新しいタイプの人々がよろず相談に精神科の外来にやっていることに驚き、執筆に至ったのであろう。

 『やさしさの精神病理』では、著者の世代の人々(著者は1949年生まれ)にとっては、意味を理解するのが困難な「やさしさ」が登場してきたことに焦点があてられている。お小遣いをもらってあげる「やさしさ」、親しい人に愚痴をこぼさない「やさしさ」、好きでもないのに結婚してあげる「やさしさ」…。こうした「やさしさ」の感覚は、私(1981年生まれ)にとっては、実は、十分に想像力の射程に入る概念だ。彼らは、対人関係の葛藤には極端に敏感(脆弱?)で、「ホットな」(=暑苦しい)人間関係を避ける。何かを決断するのに困難を感じることが多く、その通奏低音は、周りの「やさしさ」により増幅される…。

 どちらの人間模様も、ある意味では時代の産物なのかもしれないが、今を生きる精神科医が、臨床経験から鮮やかに浮かび上がらせた、ある意味では極端な人間像・思考と行動の様式は、その時代を俯瞰しようとするときに、重要な証言になるのかもしれない。

 熟練の域にある精神科医のカウンセリングによって、当人たちも気のつかなかった葛藤がどのように立ち現れ、患者に「気づき」を与えるのかも、もちろん、大きな愉しみのひとつだ。

Monday, May 23, 2011

渡辺哲夫 『死と狂気―死者の発見』書評


 本書は、末木文美彦『仏教vs.倫理』という著作の中の引用で知った。

 副題の「死者の発見」の指す「死者」とは、私たちが、たとえばお墓参りをするとき、あるいは祖先をしみじみと想うようなときに、ほとんど無意識的にその存在を感じる、あの死者のことである。あるいは、私たちの使う言語構造をア・プリオリに決定し、贈与してくれた、死者たちである。

 ところが、著者によると、狂気の人の多くにとっては、死者が存在しないという。そして、このことは必然的に、死者のいない生を生きる彼らの内部において、ほんらい死者によって構造化されていたはずの言語体系を解体し、独自の新しい言語(体系)―著者が「ネオ・ロゴス」と名づけるもの―を生み出す。さらに、自律運動を始めたネオ・ロゴスは、彼らの存在を破壊してしまう、あるいは、彼らを「殺し」、生ける「死人」「死体」(死者ではない)にしてしまう。

 精神科医である著者は、自身の臨床体験で出会った6人の狂気の人を引き、彼らの体験と独自の言語世界を分析しながら、この戦慄すべき過程を描いている。分析と執筆は、著者自身をも打ちのめすほどの過酷な体験であったに違いない。論理的な限界を感じた箇所(特にいちばん最後に紹介される患者についての分析)もあったが、既存の精神分析学に限界を感じた著者が、ほとんど自らの臨床体験と直感だけを頼りに、「死者」と「狂気」をめぐる問題系を提起した意義は大きいはずだ。少なくとも私は、著者の誠実さに胸打たれたし、狂気の人たちのことばに、自らの存在の不確かさを掬われるようで、ほとんど慄然と、といってもいいほどに不安にさせられた。

Monday, April 25, 2011

ヘルマン・ヘッセ 『シッダールタ』 (岡田朝雄訳) 書評


 本書の主人公、シッダールタは、仏陀、釈尊とは別人物である。ヘッセによる『シッダールタ』は、釈尊と同名のシッダールタという人物が、釈尊に出会いながらも、彼の教え(あるいは特定の教え)を受けることを選ばず、さまざまな体験を生き抜く中で、やがて、釈尊を超越するほどの仏陀(悟りを開いた者)の境地に至るまでの物語である。

 これが、世界文学の傑作であることは、間違いない。私は、この小説は、私たちの人生についての、ほとんど全てのことを語っているのではないかとすら思った。迷える求道者シッダールタは、幼い頃から信仰への造詣が深く、高い志と知識だけは持ち合わせている。それでも内なる不安は拭い切れず、自らに厳しい苦行を課す。苦行によっては心の平安を得られぬことを悟ったシッダールタはやがて、面白いことに、俗世間を体験することを選ぶ。彼は俗世で、性愛の快楽を覚え、財産や権力を手に入れ、酒を飲み博打に興じ、中年に差し掛かったころに、それら一切の虚しさを痛感し、愕然とする。絶望し、自殺まで企てた彼に偶然射した光は、「オーム」(完全)という若かりし頃に諳んじていた語であった。これが悟りへの契機であった。美しい河の畔にいた彼は、その河の渡し守の弟子になり、共に労働し、河の流れに耳を澄ました。その間、偶然出会った息子への愛が叶わぬという悲劇も体験した。彼は、何もかもを体験し、なお、河のせせらぎに耳を澄ませた。それが彼の最後の修行であった。老年に差し掛かる頃には、彼は、宇宙との一体感、時間の無時間性すらを体験する境地にあった。

 この作品が、文学として普遍的な価値を持ちうるのは、1つに、俗世間で生きる私のような凡人が日々心を砕き、しかしながら仏教修行にあっては詰まらぬとされる、さまざまな人生の些事を、主人公シッダールタは満腹し嘔吐するほどまでに味わいつくし、その虚しさに絶望するという体験を経ているからである。そして、彼は、経典でも人の意見でもなく、自らの体験と他者の縁を頼りにこそ、自らの内面と自然の語る声に耳を澄まし、宇宙の法則に逆らわぬことを学び、やがて、宇宙の一切、俗世の些事をも包み込み愛する悟りの境地、精神の高みに到達するからである。

 ドイツ語の原文を味わうことは残念ながら私にはできないが、訳文は、初めから日本語で書かれた美しい詩のような、凛とした文体だ。扱う素材の深みと重みを格調高く表現し、かつとても読みやすい訳文だ。ヘッセの愛した、自然の美しさと恵みの賛歌のようにも感じられる。訳者の仕事にも感謝したい。


Sunday, April 24, 2011

大平健 『診療室にきた赤ずきん 物語療法の世界』 書評

 
 長く語り継がれる、誰もが知るお話というのは不思議なものだ。僕たちは、桃から生まれたわけではないし、カボチャが馬車に化けることは絶対ないのを知っている。オオカミは人間のことばを話さないし、亀は人間に恩返しをしたりしない。それなのに、僕たちは、それらの現実離れした物語を読み、愉しみ、時代を超えて語ってきたのだから。そうであるなら、それらのお話は、人生について本質的な何かを、「物語という形でしか語れない何か」を、語っているに違いないと考えるのが自然だ。

 著者は精神科医で、患者との面接でしばしばそうしたお話を提示する。そうすると、熟練した精神科医だからであろうか、実に患者の人生が、お話の文脈と符合することが多いのだ。具体的な事例は本書を読んでいただくとするが、著者が、多くの物語の中で、食べ物(を与えること)が愛(を与えること)の象徴として表れていることを指摘していることだけ触れておこう。(これは、間違いなく人生の真実に触れている。)

 僕たちは、眠ると夢を見る。その夢は、日常の論理ではまったく歯が立たない物語だ。もちろん、僕たちが昔から愉しんできたお話も同様、日常の論理の外にある。とは言っても、僕たちは皆、ある意味「物語」を生きていて(だから、僕たちは夢を見るし、人生はしばしば物語に喩えられるのだ)、その物語の文法・解釈のヒントが、夢と同様に、長く語られてきたお話に隠されていることがある。一流の精神科医、精神分析家、カウンセラーは、そうしたお話が、深いレベルで人生の真実に触れていることを示すことができる。河合隼雄氏の著作もそうであったが、本書もその好例だ。



Sunday, April 17, 2011

フォークナー『熊』 書評 William C. Faulkner "The Bear"


 表題の中篇『熊』に加え、登場人物等関連した3作の短篇を所収する。

 本書の中心を成す作品『熊』は、伝説となった大熊を狩る物語である。アイザックと名づけられた主人公の少年は、10の歳から大人の狩人の仲間入りをし、サムと名づけられた黒人男性に導かれながら、数年で森を知悉するようになる。仲間の男たち、犬たちと勇猛に熊を追い、最後は仕留める。その描写はスリリングで、その物語自体、果敢な男たちの1個の英雄譚である。

 だが、この小説は、逆説的にも、その熊狩りが、悠久の森の深遠さに飲み込まれ、融け込んでほとんど無化してしまうことをこそ描いているのだ。森が悠久であるとはつまり、脈々とほとんど無限に連なる死者に包まれてこそ彼らがいるということであり、死者とは森そのものである。死者の具現である太古の森は、登場人物を包み、駆動し、護り、慰撫する。そして、この物語は、その悠久の森における、火花のような一瞬のドラマなのだ。英雄譚を装いながら―「装う」という語は適切でない。じじつ、息を呑むような筆力でその英雄譚は雄弁に語られるのだから―、超越的な死者=森の前にあって、生者は圧倒的に無力に見える。そもそも、彼らは、なぜ命懸けで熊を殺すのか一見明確でない。主人公の少年は、熊を見る前から、空想ですっかり熊のことを想起できたとはいえ、銃を持たずに森に在って初めて、熊と出会うことができる。熊は銃を持たぬ少年を襲うことはない。それはあたかも、他者との出会いのようだ。そして、彼らが熊を仕留めるのは、いわば肉弾戦だ。結局熊を殺したのは少年ではなく、少年の仲間の男と犬たちだ。少年は、熊を傷つけることはない。熊が死ぬとき、時を同じくして、少年を大人の狩人へと育て上げた黒人老人サムも死ぬ。少年は、熊狩りを通して、真の意味で死者と出会う。それは、幼い頃から空想を重ねていた夢の死であり、憧れの、成熟した大人の死であった。この「通過儀礼」を通してこそ、少年は、森=死者の世界に融け込む。その中で生き、護られ、やがて回収されることになる世界だ。熊とは、その超越的な死者の世界に、主人公の少年アイザックを出会わせる媒介項であったのだ。

Tuesday, April 12, 2011

末木文美士 『仏教 vs. 倫理』 書評―というより多少の雑感


 私は父を14歳の初夏に亡くした。子煩悩で短気な父であった。実の父であり、育ての父であるのだから、(ことばにならないものも含めて)思うところはさまざまにあるのだが、こうやって何かを書こうとすると、躊躇せざるを得ないことに思い当たった。これは、私にとって、大きな発見だ。なぜか。


私は、信仰をもたない人間である。訊かれれば”agnostic”(不可知論者)と答えなくもないが、無神論だと言ってもさほど自分の思想と齟齬があるようには思われない。ただ、そうは言っても、親しい誰かを亡くしたときに悼み、時折死者を思い出さぬほどに血の通わぬ人間だというわけではない。死者には敬意を払い、思いを馳せ、ときに畏れることもある。いくら無宗教を自認している人間であろうと、この感覚は共有していると思う。これは、宗教が扱う根源的な問題だ。もっとも私はそれを、人間の原初的で原始的な本能か何かだと捉え、宗教のように体系的に整理して考えてこなかっただけだ。

この本を読んで一番はっとしたのは、(著者には失礼であるかもしれないが)『死と狂気』という、渡辺哲夫という精神病理学者の著作を引いた箇所であった。渡辺は、重篤な統合失調症の患者が、死者を死者として引き受けられていないことを指摘している。それはつまり、彼らは、死体を知覚するのではあるけれども、他者としての死者に出会っていない。そこに狂気が生じるというのだ。渡辺は言う。「記憶としての死者と存在する死者を二種の異なった考え方として同じ次元に並置することなどできない。死者の存在、存在する死者こそ絶対的かつ先行的な事態なのである」(本書p.192, 渡辺p.79

この箇所を読むまで、私は漠然と死者とは生者の記憶の中にこそ生きるものであると感じていた。しかし、おそらくそれは誤りだ。冒頭、私は亡くなった父のことを書こうとして、複雑に入り組んだ個人的な思いを、インターネットで公開することをためらった。それは、私に父の記憶があるからではなくて、死者としての父が「他者として存在している」からだ。父は死者であり、現前しない、何も語らぬ存在である「にも拘わらず」、行為しようとする私に、「おれを冒瀆するな」と言わんばかりに、他者として私に対峙していたのだ。私が生きているうちに出会ってきた、あるいはこれから出会う他者と同じように、父を含めた死者は私の生において他者として存在し続ける。そして、私が死ねば、同様、私は死者という物言わぬ究極の他者として、私にとっての他者の他者になるに違いない。それは、渡辺の言うように、生者の記憶とは別の地平における存在なのだ。

死者は、生者を超越した「場」に存在する。こう考えれば、生者が生きる世界の構造―言語を含め、そのほとんどは無数の死者からの時を超えた贈り物だ―のいくつかに良い説明が与えられそうだ。その1つが、生まれる前の世代の戦争や虐殺の責任だ。世代を超えてわれわれに重く圧し掛かってくる責任を払い除けられることができない端的な原因は、死者が鎮魂されないままに「存在している」からだ。




Monday, April 04, 2011

ひろさちや『なぜ人間には宗教が必要なのか』書評


 著者は仏教徒であり、仏教に関する本格的な専門書も出しているが、一般読者向けの仏教の平易な入門書でよく知られている。

 本書は、仏教だけではなく、ユダヤ教、キリスト教、神道についても述べられている。

 僕がこの本を手にとったのは、ブック・オフ。ちょうど、アメリカのJohn Updikeという小説家の、イスラム教徒の青年を主人公にする"Terrorist"という作品の中での、クルアーンや旧約聖書に触れた箇所で難渋していたのがきっかけだった。

 著者が述べるように、日本人の多くは「宗教音痴」だと思う。たとえば、上の小説で、主人公のイスラム教徒の青年は、どうしても気になる女の子が教会で賛美歌を歌うというので、自分を抑えられずに教会に行ってしまうのだが、そこで牧師が旧約聖書に触れた説教をする。旧約聖書は、ユダヤ教・キリスト教のみならずイスラム教にとっても聖典であり、主人公は図らずもこの牧師の説教と、聴衆の昂揚に飲まれてしまうのだが、その場面ひとつとっても、世界宗教の常識を知らないとどうしてもピンと来ない。僕もそういう知識がずいぶん欠けていることを、思い知らされている。

 一神教の信者にとって、「神の命令に対して『なぜ』と問うこと自体が、神に対する反抗になる」。あるいは、「仏様は、(人知の及ばない仕方で)デタラメに救われる」など、信仰の本質的なことでさえ、日本人の多くには馴染みが薄い。

 本書は、そうした、世界宗教についてのごくごく基本的な知識を、まるで法事のときのお坊さんのように、誰にでもわかるように平易に解説してくれている。すぐに読めるし、分かりやすい。愉しくためになる読書だった。著者に感謝したいと思う。

 この数年、仏教の思想にはずっと惹かれているのだが、自分の信仰だと胸を張れるほどに、具体的な行為を実践しているわけでも、教義を学んでいるわけでもない。ただ、悩んだり、生きるのが苦しかったりするとき、ふと立ち止まって内面と静かに対話をするとき、自分を超えた、あるいは現世を超えた超越的な何かが気にかかることは、ここ最近ある。そして、それを説明する理論として、(一字一句というわけではないが)仏教の教義は、僕のこれまで生きてきた思想と親和性があることは間違いない。

 仏教については、自分が少しでも善く生きていくよすがとできればと思っている。



Thursday, March 31, 2011

諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』書評

 
 僕が深い魅力を感じる人は例外なく、他者が立ち入ることを許さない内面世界を保っているように思える。それは、深海のように謎めいているのに、ある種の威光のように彼/彼女に対する人に畏れを抱かせる、何かだ。本当の意味での愛がどのようなものかは僕にはまだ分からないが、少なくとも、本当の意味での他者への敬意は、この畏れに基づくものではないかと感じる。

 この立入り禁止の空間は、他者との交流の刺戟によって豊潤になるのだが、それを護るのはじぶん独りである。これは、本書を手に取る人ならば、承知の事実であると思う。ところが、現代の日本において、この空間を護るのは容易でない。「世間」の「空気」や風土や時代を批判するのはあまりに容易なのに。

 本書はこの実践において、トランス・パーソナル心理学のカウンセラーの観点から、実に有益な示唆を与えてくれる。本書最終章で紹介される、身体感覚を研ぎ澄まし、内面の声を聴く「フォーカシング」と呼ばれる手法がそれだ。この、自身との対話によって、一次的な自己である〈私〉は、超越的で普遍的な〈私〉へと開かれるという。私自身、本書を読むことで、日常の気忙しさからしばし解放され、自分と深く対話する契機を得られた。これは収穫だ。しかし、私自身は本書の主張すべてを肯う立場にはない。

 もっとも違和感を抱いたのは、本書第3章で、キリスト教の説く隣人愛についてのキルケゴールの解釈を引く箇所だ。キルケゴールによると、「汝、隣人を愛せ」という命令は、特定の人を愛してはならないという禁止だという。そして、著者は、そうした「普遍的な」愛を、われわれが抱く個々の愛に優越したものだとする。しかし、私はそのような「普遍的な」愛などおめでたい話だと考える。人を遍く愛しているとは、畢竟誰も愛していないのと同義である。

 かつて、社会学者の見田宗介は、人生の真の喜びも真の絶望も、他者との関係の中に存することを指摘した。人生の真の喜びとは、その人に固有の愛であり、真の絶望とは、絶対的な孤独に違いない。そもそも私たちは、具体的な他者から〈他者〉として承認されることなしに、生きていくどころか〈私〉として存在することもできないのだ。

 著者は、こうした具体的な他者に、具体性を与えることに成功していないように思える。「孤独」について語ろうとするあまり、その反対側の他者の概念を疎んじてしまった。本当は、他者についての問題もまた、筆者も含め、誰もにとって切実なもののはずなのだ。

 今日ますます、じぶんひとりの内面世界を護り、育むことは難しい。ほんとうはもっとひとりになりたい。もっと深く内面を追究したい。これは、私にとっても切実な要望だ。しかし、私の人生の中に〈他者〉がいてはじめて、私の人生は意味を帯びる。この辺りの按配が難しいのだ。



Tuesday, March 29, 2011

黒澤明『生きる』映画評





 「生きる」とは何であるか、これほど困難で切実な問いは他にない。
 
 この作品の主人公は、胃癌に冒された、30年間無欠勤の役所職員だ。真面目ではあるが、日々を無難に、惰性で過ごしてきた彼を、黒澤は「本当の意味では生きてこなかった」と断じる。或いは、主人公自身も、自分が間もなく死ぬのだと知って、これまで「生きて」こなかったことを、涙を流して悔恨する。
黒澤が見出した(本当に)「生きる」ことは、惰性の対極にある。彼が描くのは、厳しく、同時に温かい心象だ。

余命幾許もないと知った主人公は、酒を飲み、独り大正時代のラブソングを歌い、涙する。(命短し。恋せよ、乙女。…)天真爛漫な女性部下に、うっとうしがられるまで(つまりその関係が惰性になるまで)「一緒にいてくれ」という。(彼は全く不器用な男なのだ。) 死を覚悟した彼は、煩雑な役所手続きの中で役所内をたらい回しにされ頓挫していた、公園建設の計画実現に向け、身を粉にして働く。

朴訥とした彼は、華麗なリーダーシップを発揮することはできない。公園のために懸命に働き、目立たぬままに死ぬ。物言わぬようになった彼の功績を軽んじ、手柄を横取りしようとする人たちもいる。

彼が死んでも、結局役所は何も変わらない。無責任な人間たちによる、仕事のたらい回しは相変わらずだ。

男は死んだ。しかし、彼は荒地に公園を遺し、本当に「生き」始めた彼は、一握りの人たちに「生きる」とは何か身をもって教えた。

生きることとは、本質的に孤独な営為であり、惰性の対極に位置づけられるものだ。決して華やかではない彼の生き方が私たちの胸を打つのは、私たち誰しもにとっての陥穽である、惰性的な日常を彼は脱却し、意欲的・主体的に平凡な日常を生き抜いたからだ。私たちの日常は、通常はドラマティックなものではないのだから、黒澤の提示してみせた物語は、「生きる」という主題において、普遍的であり、本質的なものなのだ。

ちなみに、主人公を演じるのは、『七人の侍』で武士のリーダーを演じた志村喬。ここにはそれとは全く異なる志村喬がいる。



Sunday, March 27, 2011

『オリバー・ツイスト』Oliver Twist (2005) 映画評


 19世紀イギリスの生んだ文豪、チャールズ・ディケンズ原作の小説の映画化。原作を読んではいないが、当時の少年、孤児たちが置かれた劣悪な環境を告発するという、啓蒙的な意味合いも含んだ作品であったという。

奴隷のように労働させられる子どもたち、盗みに手を染める子どもたち、そうした彼ら、彼女たちを利用する醜悪な大人たち、こうした構図は、全くとは言わないまでも、われわれの生きる現代社会とは大きく異なるものだ。それでは、ディケンズが、彼自身も身を置いた当時の悲惨を告発した意義は、今日にあっては無意味か。彼の文学的企みは空振りか。そうではない。

原作は読んでいないので、この映画についての言及であるが、古典的な小説らしく、「善」の側に位置づけられた人間と、「悪」の側に位置づけられた人間との対照は明瞭ではあるのだが、「悪者」である組織の人間たちにも、積極的に彼らなりの善なる人間性、心の痛みが与えているのは印象的であった。たとえば、盗人の集団のリーダー格の老人、フェイギンが、かつて仲間であり今は失われた、スリの子どもたちを(その盗品を通して)懐かしむシーン、あるいは、グループの一味になってしまった運命を悔いる情婦が、声を荒げて自らの運命を呪い、幼く無垢なオリバーだけはと庇うシーンなど。

(以下、映画のクライマックスに触れます)




映画のクライマックスで、恩着せがましい盗人ではあったが、食事の世話をしてくれたフェイギンが死罪になるにあたって、刑務所の中で錯乱状態にある彼に、幼いオリバー自ら会いに行くシーンは印象深かった。人が生きていくとき、人と死別することは避けられない。10歳のオリバーには過酷であったのかもしれないが、狂い、死にゆく(死罪になる)老人との面会は、無垢な善意を持ち合わせただけの、未熟な自我のオリバーが、大人になるための通過儀礼であったのかもしれない。

現代の私たちが物語の中に見出せるのは、人を翻弄する運命、人間の醜悪さと善、そして、その不確かさだ。主人公のオリバー・ツイストは、過酷な運命を乗り越え、ハッピーエンドを迎える少年である。しかし、われわれにとってのこの物語の現代的な魅力は、少年オリバー・ツイストが結局「あほらしいほどに」幸福になる「にもかかわらず」、彼を捉え、抗うことを許さないような残酷な運命や「悪魔の囁き」もまた可能性としたあったことに想いを馳せてみること、あるいは、「悪」の一味がじっさい悪者であったのは、必然ではなく偶然であったかもしれない、つまり、彼らは、まるで振り子の揺れを途中で止めてしまうように、紙一重で悪人の側に置かれてしまったのではないかと考えてみることにあるのだと思う。


Wednesday, March 23, 2011

烏賀陽弘道 「朝日」ともあろうものが。 書評 



マスコミが批判されるようになって久しい。ネットが普及する前も、テレビ局への「苦情」の電話は日常茶飯事だったと聞く。ネットで誰もが(多くの場合匿名で)情報を発信するようになった今日では、マスコミ批判は叢生している。その多くは(批判されるマスコミと同じように)陳腐な定型句の使用を免れ得ないでいるが、SNSの普及を決定的な契機として、「日本のマスコミは『本当に』やばいんじゃないのか」と感じる人はますます増えている。記者クラブをはじめとした、システムの構造的欠陥については今では多くの人の知るところとなったし、海外報道との比較の上から、日本の報道の貧弱さを(多くの場合冷笑的に)指摘する声も頻繁に聞くようになった。

『「朝日」ともあろうものが。』というのは、今では少し古くなったように感じられる、マスコミ批判の定型句だ。朝日新聞ほどの権威がありながら、あなた方のようなエリートが、一体どういうつもりで…というわけだ。残念ながらというべきか、数年前まで日本のマス・メディアの持っていた権威は、SNSの普及で今日ますます相対化されている。定型的な報道しかしない日本のマス・メディアに愛想をつかした人はますます増えている。英語を初めとした外国語が使える人は、日本のニュースを(補完的にというより「代替的に」)外国語でとるような事態も起きている。この度の大地震に引き続いた福島原発事故について、Twitter上では、NYTBBCなどの外国メディアが、正確さや冷静さにおいて優っていたことを多くのジャーナリストや専門家が指摘したのは象徴的だ。

 本書は、著者が17年間朝日新聞社に勤務した経験を描いたものである。記者クラブ内においては、取材される側からする側への物品の贈与があったこと(要するに癒着があったこと)や、ハイヤーやタクシー券を自由に使える環境で多くの記者が「庶民感覚」を失い、不遜で傲慢になっていくこと、あるいは、少なくとも朝日新聞社は、プロのジャーナリストとしての向上心をあからさまに削ぐような制度に基づいて、上司が部下を査定していたことなどを、ときに私憤を交え、ときに当時の迷いや苦痛を想起しながら描いている。あるいは、90年代にAERAに異動になったとき、意気揚々と誌面を創っていた、著者にとっての懐かしい想い出も。

 半自伝的な本書で描かれる、新聞記者としての仕事を始めたばかりの著者の絶望は、僕が大学を卒業して入った銀行で味わった絶望と重なった。僕はもちろん新聞記者ではないし、1年足らずで心身を壊して銀行を辞めてしまったのだが、自分の人生に重ねながら、そうであったかも知れない自分を想いながら、小説を読むように、夢中でページを繰って読んだ。過酷なほどの理不尽の中で、著者がジャーナリストとして腐ってしまわなかったのには敬服した。(だから、「自分に重ねた」と言うのはおこがましいのだが)。著者が自力で奨学金を獲得し、自費でコロンビア大学の大学院に勉強しに行ったのは、現在の僕と同い年のときだ。まったく、この人のプロとしての向上心には恐れ入る。会社が全然協力的でない中、激務の中に、これだけの心構えをし、実行したのだから。だからなおさら、90年代後半以降の、会社の待遇が描かれる箇所では愕然とした。もっとも、著者が退社していなければこの著作が書かれなかったのはもちろん、著者のことを知ることもなかったかもしれないのだが…。この本を読んで、日本の新聞社の抱える構造的な欠陥を知ることができたこと、そして何より、面白い小説を読むように著者のジャーナリスト半生を追うことができたことは、愉しく幸福な読書体験であった。

 現在フリーで活躍されているジャーナリストの烏賀陽弘道さんを、これからも心より応援したい。

Thursday, March 17, 2011

七人の侍 映画評




桁外れの映画だ。

今まで自分が時代劇と思っていたもの、大河ドラマはなんだったのか。確かに、これまでの時代劇が鼻につくことはあった。現代のテレビ文化にぴったり合うように、現代人が付け加えたチープな華やかさ。荒々しさ、猛々しさ、血生臭さのない殺し合い。大人になってから、好んで観た作品は不幸にもひとつもない。

この映画は、そうした現代のコマーシャリズムの中で増産されてきた時代劇とは一線を画する。一線を画するという物謂いでさえ、この映画に対して失礼かもしれない。この映画を観てしまうと、今つくられている時代劇は、幼稚園の劇の発表会のようだ。

まず、役者たち、志村喬をはじめとする役者の侍の胆力が違う。僕が6年間剣道を稽古していたとき、しばしばそうした精神論が語られることがあった。黒澤も剣道の稽古をしていたからであろうか、日本刀での命の駆け引きをすること、一瞬の火花のように一撃で相手を殺すこと、僕は当然ながらそういう経験はないに決まっているのだが、黒澤は、そういう世界に生きる侍、戦国時代の殺し合いを、白黒の画面の中に、「鮮やかに」甦らせる。だから、彼らの胆力に恐れ入り(これは演技なのか?)、彼らの激しい戦闘を、一瞬の命のやりとりを、現場で見ているような錯覚を覚えることになる。志村演じる侍のリーダーと対照的な、三船演じる破天荒な農民上がりの兵の魅力もたまらない。あの闊達さ、破天荒を演じるような役者が存在した事実があったことだけでも奇蹟だ。



対照的な2人。






侍に用心棒を頼んだ農民たちの描き方もまた、鮮やかだ。黒澤は彼らを単なる弱者の集合として描いていない。(それは、小学校の社会科の教科書の世界だ)。農民たちは、野武士を恐れる存在でありながら、落武者を襲って盗品を蓄えるような賢しさをもち、ときに感情を爆発させて怒り、ときにからからと笑い、怯え、戦い、固唾を呑む。ひとりひとりが違う人間として立ち現れ、物語を彩る。



黒澤の映画は、人間性をすべて描いている、と言うアメリカ人の友人がいる。この映画で描かれているものだけでも、勇気、恐怖、憎悪、歓喜、絶望、恋慕…きりがない。それらを探究し、鮮やかに描出していながら、この映画はちっとも難解ではない。そして、背景となる時代も違うのに、この作品が時代や国を超えて人々を魅了し続けるのは、そうした人間の本質の一端を描くことに成功しているからに違いない。

あらためて、『七人の侍』は、ずば抜けた作品だ。3時間を超える大作だが、その面白さから長さは気にならないほどだし、DVDなら2枚組みになっているから、誰もがタイトルを知るこの映画をどうか敬遠せずに見て欲しい。

Tuesday, March 08, 2011

茨木のり子 永遠の詩 02 評



詩人、茨木のり子の代表作を集めた詩集。

戦中期にあたる少女の頃、「ほっそりと/蒼く/国をだきしめて/眉をあげていた/菜ッパ服時代の小さいあたし」から、亡くした夫を想い、自らの死を思う晩年まで、時期も素材もさまざまな詩が収録されている。選と、各詩に短く添えられた解説文は、詩人の高橋順子による。

茨木のり子の詩は広く読まれ、そのいくつかはネットで手軽に読むことができるが、身銭を切って詩集を買い、居住まいを正して、食物をゆっくりと味わい咀嚼するように作品を読む悦びには比べようもない。

彼女の詩の味わいを簡単な形容詞でまとめることは不遜であるかもしれないが、どの作品もたおやかで、弱い者への眼差しは、優しく、厳しい。

本詩集にもいくつか収録されている、1975年に逝った夫を回顧する詩は、彼女の死後に見つけられ、詩集『歳月』にまとめられたという。表題作『歳月』や『夢』などの作品は初めて読んだが、彼女の変わらぬ夫への愛が、夫の不在への鋭い感受性が胸を打つ。優しいのに哀しく静謐で、よく知られた彼女の詩とはかなり趣を異にする。

惰性で日々を過ごすとき、ものを考えずに流されるとき、退屈に気が散り居心地悪いとき、孤独が淋しく苦しいとき、美しい自然やことばに感じなくなったとき、居住まいを正して、何度も何度も彼女の詩を読もうと思う。




Sunday, March 06, 2011


(2009年9月5日に書いた小さな物語です)

森の中の小川のせせらぎを、一匹の蛙が一葉の舟に乗って、流れに逆らって進んでいた。しとやかな雨が降っていた。 
道なき道を、鉈でざくざくと蔓を払い、藪を掻き分けてきた旅人は、足を止め、凝然と蛙に見入った。 
蛙はひたすらに小さな棒切れで舟を漕いでいたが、旅人に気づくと、舟を漕ぐのを止めた。流れは舟を淀みへと運び、舟は止まった。 
「こんにちは」 
と旅人を見上げて蛙が言った。 
「こんにちは」 
と蛙を見下ろして旅人も言った。 
「井戸に行くんです」 
と蛙は言った。 
「井戸は、僕たちの墓場です。丸い井戸で、周りに石の囲いがあります。深さはそんなにありません。5メートルといったところでしょうか。朽ち果てた井戸です。昔は人間が使っていたんでしょうが、今では使う者はいません。水が出ないんですから。井戸の底には、蛙の骸骨が無数にあるんです。形が崩れたのもありますが、たいていは、そのまま、そう、蛙の形のままでずっと残っています。真っ白な骸骨です。2つの眼窩が、どこでもない場所を見すえています。そういうのが、井戸の中に散在してるんです。『骨のように乾いた』(dry as a bone)というのは、人間がよく使うことばですね。ねえ、骨というのは、ほんとうに、からからに乾いているんですよ。井戸は枯れています。夥しい蛙たちの骸骨も、からからです。ときおり雨が降って、骨は洗われ、黒い土から雑草が芽を吹きます。そんな場所です」 
「君は…そう、君は、これから死ぬのかい?」 
「そうです」 
「どうして?」 
「蛙は、そうですね、潔いと言ったらよいのでしょうか。死ぬのを怖れたり逡巡したりしないんですね」 
「死期が近いことを悟ったの?」 
「そうですね。それもあります。目もあやな翡翠色の身体は、今ではくすんで醜い深緑。つるっとした真っ白なお腹はたるんできました。ジャンプができなくなって、虫が捕まえられません。それでね、井戸のことを知って、そりゃ、孤独に死ぬよりは、同胞の蛙たちと死ぬほうがいいと思ったんです。蛙というのは、孤独な生き物です。産まれるときは、たくさんのきょうだいと一緒に卵で産まれてきますけど、でも、人間と違って、母親の無償の愛だって知らないし、父親の理不尽な厳しさだって知らない。きょうだいのほとんどは、おたまじゃくしのうちに、あの、いまいましい魚というやつに食べられてしまいます。運よく蛙になれても、いつもひとりぼっちで、蛇や鳥にびくびくしてなくちゃいけません。ねぇ、白骨化したあまたの蛙がいる井戸って、すてきだと思いませんか。僕たちの記憶は、ひっそりとそこに蓄積されているんだ」 

旅人は、母親も父親も亡くしていた。きょうだいはいない。母親の愛情に浴した記憶も、父親の不条理な怒りに涙した記憶もない。妻はおろか、恋人もいない。友だちの葬式に出たこともないし、自分の葬式に来てくれる友だちもいない。旅人もまた、孤独だった。おれの記憶はどこに蓄積されるのだろう。記憶が断片的に浮かんできた。ある記憶はくっきりとした輪郭をもち、ある記憶はぼやけていた。記憶は、時計の時間のように単調ではなかった。それらは濃淡があり、思い出される順序はてんでばらばらだった。 

「君と一緒に井戸に行きたい」 
と旅人は言った。 
「それは、だめです。あなたがいると、死ねない」 
と蛙は言った。

Thursday, March 03, 2011

英国王のスピーチ(原題"The King's Speech")映画評



英国王ジョージ6世が、吃音というハンディキャップを乗り越え、第二次大戦開戦(対ドイツ宣戦布告)を世界に向けて(当時世界の4分の1は大英帝国領であった)ラジオ放送するまでの物語。

開戦の1939年のラジオ放送が「ゴール」であるかのように(まさに映画のように!)、「友人」である吃音治療の専門家である吃音を克服していったのは脚色かもしれないが、歴史を描いた映画に脚色はつきもの、無粋なことは言わない。

トイレの近い僕にとって2時間は結構な長さだが(コーヒーの飲み過ぎかもしれない)、時間が経つのを忘れるくらいに堪能することができた。たびたび劇場でくすくすと笑い声がこぼれるくらいにあちこちに散りばめられたイギリス流ユーモアはどれも可笑しかったし、少しずつ明かされていく吃音の原因(であろうと思われる事実)と少しずつ吃音が改善されていく様子にすっかり引き込まれた。そして何より、治療者とジョージ6世(即位する前はヨーク公爵)の「友情」が深まっていくのを見ているのがとても愉しかったのだ。(治療者は、国王の子息である彼に、初めから互いをファーストネームの愛称で呼ぶように要求したのだ!)吃音のジョージ6世を演じるコリン・ファースがさすがアカデミー主演男優賞を受賞しただけあってすばらしいし、治療者であり彼の友人であるジェフリー・ラッシュの演技は円熟の域だった。

参考になる史実を確認しておくと、彼の父であるジョージ5世は、1932年にクリスマス放送を開始、「国内聴取率91%、海外からの大反響によって国王のクリスマス放送は恒例行事となった。193556日、(ジョージ5世の)在位25周年を祝う『タイムズ』社説は、「国王は国民に対し、父親が子供に対するように話しかけ、ついにはその顔と同じくらいその声が知られるようになった」ことを称えた。「イギリス王室の国民化」はここに完成する…王室の伝統とニューメディアの結合が、この大変動期にあってイギリス国民に心理的安定感を与えたことはまちがいない」。(佐藤卓己 現代メディア史pp.155-56)「この戦争を通じて、BBC放送の英語が標準英語と理解されるようになった」(同前p.157)(今日にあって、「標準英語」という語には個人的には違和を感じるが、しかし、当時においては、総動員体制に寄与した重要な概念であったことは想像に難くない)。

ラジオを通して統一される国民意識、やがて大戦に総動員されることになる国民意識の焦点にあった王は、戦後も立憲君主としての役割を全うし、今日でも尊敬されているという。ひょっとしたら事実は、内面に深い孤独(に加え無力感)を抱えていたのかもしれないが、愛する家族と、味わい深い個性をもった治療者との(ときにユーモラスな)交流に心がほっこりと温かくなった。

映画を飾ったモーツァルトのクラリネット協奏曲(K.622 mvt2)や、ベートーヴェンの交響曲第7(mvt2)も印象深く、聴きなおすと自然にこの映画を思い出す。32日、すてきな映画を観て、神戸のシネ・リーブル(単館系劇場)で至福の時間を過ごすことができた。

 ちなみに映画で描かれていた、1939年のジョージ6世の宣戦布告を告げるラジオ放送は以下で聴くことができます。

Tuesday, March 01, 2011

『幸せな王子さま』 (Oscar Wilde 'The Happy Prince' 1888年発表 中野拓訳) 



  街の上に高く高く、まるくて高い台座の上に、幸せな王子さまの像が立っていました。王子さまは身体中、薄い本物の金箔で包まれていました。目には二つのサファイア、そして剣の柄(つか)には赤い大きなルビーがきらきらと光っていました。 
 王子さまのことを、みんながすごく褒めました。「王子さまの美しさったら、風見鶏みたいだね」と街の議員さんのひとりが言いました。美しさがわかる人だと思われたかったのです。「そんなに役には立たないけど」とわざわざ付け足していいました。自分がしっかりしていないと思われたら嫌だったからです。でも、しっかりしていないなんてことはありませんでした。 
 「どうして幸せな王子さまみたいになれないの」と分別あるお母さんが、無いものねだりをする小さな息子に言いました。「幸せな王子さまは、決して何かをねだったりしないのよ」 
 「この世にほんとうの幸せ者がいるってのはいいな。」ある落ち込んだ男が、すばらしい像にじっと見入りながらそう言いました。 
 「王子さまは天使みたいだね」と、恵まれない人たちへの寄付でできた学校に通う子どもたちが言いました。子どもたちは、お祈りの大聖堂から出てきたところでした。鮮やかな朱色のマントと、白くて清潔なエプロンを着ていました。 
 「どうしてそんなことが分かるのかね?」と数学の先生が言いました。「お前たちは天使を見たことがないだろう」 
 「あ、でもあるよ、夢で見たもん」と子どもたちは答えました。それで、数学の先生はむっとして、怖いようすになりました。先生は、子どもたちが夢を見ることは悪いことだと思っていたからです。 
 ある夜、街の上空を小さなつばめさんが飛びました。つばめさんの他の友だちは、その一月半前に、遠くエジプトに行ってしまいましたが、このつばめさんだけは残っていました。つばめさんは、いちばん美しい葦さんに恋をしていたからです。春の初めの頃、つばめさんは、大きな黄色の蛾を追いかけて川を下って飛んでいたときに、葦さんに出会いました。葦さんの細い腰にすっかり心ひかれて、つばめさんは、葦さんとお話をしようと飛ぶのをやめたのです。 
 「好きでいてほしい?」とつばめさんは訊きました。つばめさんは、大切なことはすぐに言いたがる方だったのです。葦さんは深々とおじぎをしました。つばめさんは葦さんの周りをくるくると飛びました。両方の翼で水に触れ、銀色のさざ波を立てました。これがつばめさんの求愛、これは、夏の間ずっと続きました。 
 「ばかな恋だねぇ」他のツバメたちはみんなちゅんちゅんとさえずりました。「葦さんにはお金も無いし、親戚づきあいだってたいへんだろうに」じっさい、川辺にはとてもたくさんの葦が茂っていました。そして、秋が来ると、みんな風で散ってしまうのです。 
 他のツバメさんたちがみんないってしまうと、ツバメさんは寂しくなりました。そして、恋人にも飽き飽きしてきたのです。 
 「話もできないし」とツバメさんは言いました。「遊んでる女かもしれないぜ。だってさ、いつも風といちゃついてばっかり」確かに、風が吹いてきたとき、葦さんはいつもいちばんきれいにお辞儀をしました。「家にいてくれるのはいいよ」ツバメさんは続けました。「でも、僕は旅が大好きだし、だから、奥さんだって旅が好きじゃなくちゃいけない」 
 「一緒に来てくれない?」とうとうツバメさんは葦さんに言いました。でも、葦さんは首を振りました。お家にすっかり根付いていたのです。 
 「ずっと僕のことを軽く見てる!」ツバメさんは叫びました。「僕はピラミッドに行く。さよなら!」そして、ツバメさんは行ってしまいました。 
 ツバメさんは一日中飛んで、夜になって街に着きました。「どこに泊まろうかな」ツバメさんは言いました。「街が仕度をしてくれてるといいんだけど」 
 そして、ツバメさんは台座の上の像を見ました。「あそこに泊まろう。美味しい空気がいっぱいの素敵な場所」そして、ツバメさんは、幸せな王子さまの両足の真ん中に止まりました。 
 「金色のベッドルームだ」ツバメさんはきょろきょろしながら優しくつぶやきました。そして眠る仕度をしました。でも、ちょうど頭を片方の翼に入れようとしたとき、大きな水のしずくがツバメさんの上に落ちてきました。「あれれ、空には雲ひとつないのに…星ははっきり見えてきらきらしてる。それなのに雨が降ってるなんて…ヨーロッパの北に行くとひどい気候だよ。葦さんは雨が好きだったな…でもそれは葦さんがわがままなだけだよ」 
 それからもう一粒。 
 「雨宿りもできないとしたら、像なんて何の役に立つんだよ。いい煙突を探さなきゃな」ツバメさんは心を決めて飛んで行くことにしました。 
 でも翼を広げる前に、3粒目が落ちてきて、ツバメさんは頭を上げました。目に入ってきたのは…何と、ツバメさんは何を見たのでしょう。 
 幸せな王子さまの両目は涙で一杯で、涙は金色の頬っぺたを伝っていました。王子さまの顔は月明かりの中でとても美しく、小さなツバメさんは哀しさて胸がいっぱいになりました。 
 「どなたですか」とツバメさんは言いました。 
 「幸せな王子だよ」 
 「だったらどうして泣いているのです」ツバメさんは言いました。「ぐっしょり濡れてしまいました」 
 「生きていたころは人間の心臓があったんだ」像は答えました。「涙が何なのかも知らなかった。だって、哀しみは立ち入り禁止のサン・スーシ宮殿に住んでいたから。昼間は仲間と庭で遊んだ。夜は大広間で真っ先に踊った。庭の周りにはすごく高い壁がそびえていてね、でも、壁を越えたら何があるのか一度も訊かなかった。僕の周りはとっても美しかった。けらいたちは僕のことを『幸せな王子さま』って呼んでね、じっさい幸せだったんだよ。もし楽しいことが幸せってことだとしたらだけどね。そんなふうに生きて、そんなふうに死んだんだ。もう死んでしまったから、家来たちはここにとても高い僕の像をしつらえた。だから、僕は、僕の街の醜いもの、みじめなものが全部見えるんだ。僕の心臓は鉛でできているのに、泣かずにはいられないよ」 
 「えぇ!これは金のかたまりじゃないのか」ツバメさんは思いました。でも礼儀正しいから個人的なことは口にしません。 
 「ずっと遠くに」像は低い音楽のような声で続けました。「ずっと遠くの小道に貧しい家がある。窓が1つ開いている。窓から、テーブルについている女の人が見える。顔は細くて疲れきっている。荒れた真っ赤な両手をしてる。ぜんぶ針で刺したんだ、裁縫屋さんだから。今、女王さまの侍女の中で一番の美人が次の宮中舞踏会で着る、繻子(しゅす)のガウンにトケイソウを刺繍してる。部屋の隅っこのベッドには、小さな息子さんが病気で横になってる。熱があって、オレンジをちょうだいって。でもお母さんは川の水しかあげられない。それで男の子は泣いてる。ツバメさん、ツバメさん、小さなツバメさん、僕の剣の柄(つか)からルビーを取って届けてあげてくれないか。僕は両足を台座に固定されて、動けないんだ」 
 「エジプトで待ってくれている仲間がいます」ツバメさんは言いました。「友だちは、ナイル河を上がったり下ったり、大きなハスの花とお話しています。これからすぐに偉大な王さまのお墓の中で眠るでしょう。王さまはそのお墓にひとり、色塗られた棺の中におわします。黄色の亜麻布にくるまれて、香辛料でお化粧されています。首の周りには薄い緑の翡翠(ひすい)の鎖がかかっていて、両手はしおれた葉っぱみたいです」 
 「ツバメさん、ツバメさん、小さなツバメさん」王子さまは言いました。「1日だけ僕と一緒にいてくれないか。届け物をしてほしい。男の子はとても喉が渇いているし、お母さんはとても悲しんでいる」 
 「僕は男の子っていうのが好きじゃないけど」ツバメさんは答えました。「去年の夏、川にいると、失礼な男の子が2人いたんです。粉屋の息子たちで、いつも僕に石を投げてくるんです。もちろん石に当たったりはしませんでしたよ。僕たちツバメはそんなのよりうんと速く飛べるし、僕はすばやさで有名な家の出だから。それでも、あれは失礼な証拠です」 
 そうは言ってみたものの、王子さまはとても哀しそうだったので、小さなツバメさんも気の毒になりました。「ここはとても寒いです」ツバメさんは言いました。「でも、1日だけ一緒にいて、お届け物をします」 
 「ありがとう、小さなツバメさん」王子さまは言いました。 
 それでツバメさんは、王子さまの件から大きなルビーを取り出して、口ばしに加え、屋根から屋根へひとっ飛びしました。 
 ツバメさんは、大聖堂の塔を通り越しました。そこには白い大理石の天使たちの彫刻がありました。宮殿を通り越して、ダンスの音を聞きました。美しい女の人が、恋人と一緒にバルコニーに出てきました。「星がなんてみごとなんだろう」恋人は女の人に言いました。「そして愛の力も!」「私のドレスが舞踏会に間に合うと良いのですが」女の人は答えました。「トケイソウを刺繍するように注文したのです。でも裁縫屋がとっても怠け者でして」 
 ツバメさんは川を越え、船の帆の柱に提燈がかかっているのを見ました。ユダヤ人の街では、年寄りのユダヤ人が商売をして、銅の秤でお金を測っていました。とうとうツバメさんは貧しいお家まで来て、中を見ました。男の子は熱を出して、ベッドで寝返りを打っていました。お母さんはもう眠っていました。とても疲れていたのです。ツバメさんはひょいっとジャンプして中に入り、大きなルビーをお母さんの指ぬきのそばに置きました。それからベッドの周りを優しく飛んで、男の子の額に風をあてて冷やしてやりました。 
「涼しい」男の子は言いました。「きっとすぐに良くなるよ」そう言って、男の子はぐっすりと眠りに落ちました。 
 それからツバメさんは幸せな王子さまのところに戻り、自分がしたことを伝えました。「面白いんですよ」ツバメさんは言いました。「暖かく感じるんです。こんなに寒いのに」 
 「いいことをしたからだよ」王子さまは言いました。それで小さなツバメさんは考えだしたのですが、眠ってしまいました。ツバメさんはいつも、考えると眠くなったのです。 
 夜が明けると、ツバメさんは川に飛んでいって水浴びをしました。 
 「なんと目覚ましい現象ではないか」鳥類学の教授は橋を渡るときに言いました。「冬にツバメがいるとは」そして、その先生は、街の新聞に長い手紙を書きました。みんな、新聞に載ったことをそのまま話しましたが、あんまりにも長い文章で、誰も理解できませんでした。 
 「今晩は僕はエジプトに行きます」ツバメさんは言いました。ツバメさんは期待で胸がいっぱいでした。ツバメさんは、記念碑にはみんな行ってしまって、長いこと教会の塔のてっぺんに座っていました。どこへ行ってもスズメさんが「めずらしいお客だね」とちゅんちゅん言い合いました。だから、ツバメさんはとても愉快に思いました。 
 月が昇り、ツバメさんは幸せな王子さまのところに戻りました。「エジプトへのお使いはありませんか?」ツバメさんは大きな声で言いました。「もう行きますよ」 
 「ツバメさん、ツバメさん、小さなツバメさん」王子さまはいいました。「もう一晩僕と一緒にいてくれないか」 
 「エジプトで仲間が待っています」ツバメさんは答えました。「明日は友だちが第2大滝昇りをするんです。イグサの中では、かばが一匹横になっています。大きな御影石の玉座には、メムノーンの神さまがおわします。一晩中星をご覧になっていて、夜明けの星が輝いたら、喜んであっと叫ばれ、それから黙ってしまわれるのです。正午には、黄色いライオンたちが水辺にやってきます。緑のエメラルドみたいな眼をしていて、吠えると大滝のとどろきよりもすごいんです」 
 「ツバメさん、ツバメさん、小さなツバメさん」王子さまは言いました。「遠く街を越えて、屋根裏部屋に若い男がいる。台本用紙でいっぱいの机に身をかがめている。そばの花瓶の中には、しおれたスミレの花束が差してある。髪は茶色で細かくちぢれていて、くちびるはザクロほどに紅い。大きくて眠たそうな眼をしている。劇場監督のために芝居を仕上げようとしているが、これ以上書くには寒すぎる。暖炉には火がなく、お腹が空いて倒れてしまったのだ」 
 「もう一晩だけご一緒しましょう」ツバメさんは言いました。ほんとうに、ツバメさんは良い心を持っていましたから。「ルビーを届けましょうか?」 
 「ああ、だめだ!僕にはもうルビーがない」王子さまは言いました。「僕には、珍しいサファイアでできた眼があるだけだ。千年前にインドから持ってこられたものだ。片方を引き抜いて彼に届けてくれ。宝石屋に売って、食べ物とたきぎを買って、芝居を書き上げるだろうから」 
 「王子さま」ツバメさんは言いました。「僕にはそれはできません」そして、ツバメさんは泣き始めました。 
 「ツバメさん、ツバメさん、小さなツバメさん」王子さまは言いました。「言うとおりにしてくれ」 
 それでツバメさんは、王子さまの片目を引き抜いて、学生の屋根裏部屋に飛んで行きました。屋根に穴が空いていたから、中に入るのはたやすいことでした。穴を突き抜けて、部屋に入りました。若い男は両手に頭を抱えていたので、鳥の羽音を聞くことはありませんでした。男が顔を上げると、しおれたスミレの花束の上には美しいサファイアがありました。 
 「認められてきたぞ」男は叫びました。「おれを認めてくれる、どこかの偉い人からだ。これでもう芝居を書き上げることができる」。男はとても幸せそうでした。 
 翌日、ツバメさんは港に飛んで行きました。大きな船の帆の柱にちょこんと座って、船員たちが船の倉庫からロープで大きな箱を引きずり出すのを眺めていました。「よっこら、せぇ」箱が上がってくるたびに船員たちは叫びました。「エジプトに、行くんだ!」ツバメさんも叫びました。でも、気に留めてくれる人は誰もいません。月が昇ると、ツバメさんは王子さまのところに飛んで行きました。 
 「お別れを言いに来ました」ツバメさんは大きな声で言いました。 
 「ツバメさん、ツバメさん、小さなツバメさん」王子さまは言いました。「もう一晩だけ僕と一緒にいてくれないか」 
 「今は冬です」ツバメさんは答えました。「ここでも間もなく、冷たい雪が降ります。エジプトでは緑のヤシの木に暖かな日差しが注ぎます。泥の中のワニたちが気だるそうに辺りを眺めています。仲間たちはバールベク寺院の中に巣を作っています。ピンクと白の鳩たちがそれを眺めて、クークーと互いに鳴き合っています。王子さま、本当に行かないといけません。でも、王子さまのことは決して忘れません。来年の春には、きれいな宝石を2つ、あげてしまった宝石の代わりに持って帰ってきます。ルビーは真っ赤なバラよりも赤く、サファイアは大海よりも青いものをお持ちします」 
 「下の広場に」幸せな王子さまは言いました。「小さなマッチ売りの少女が立っている。マッチをどぶに落としてしまって、みんなだめにしてしまった。お金を持ち帰らないとお父さんにぶたれるから、しくしく泣いている。靴もストッキングも履いていない。小さな頭にも何もかぶっていない。もう片方の目を引き抜いて少女に与えてくれ。それならお父さんも彼女をぶたないから」 
 「もう一晩一緒にいましょう」ツバメさんは言いました。「でも眼を引き抜くことはできません。そんなことをすると、何も見えなくなってしまいます」 
 「ツバメさん、ツバメさん、小さなツバメさん」王子さまは言いました。「言うとおりにしてくれ」 
 それでツバメさんは、王子さまのもう片方の目を引き抜いて、一目散に飛んで行きました。マッチ売りの少女のところに舞い降りて、手のひらに宝石を滑り込ませました。「何てきれいなガラス!」少女は大きな声を上げて、ころころと笑いながら家に駆けてゆきました。 
 ツバメは王子さまのところに戻ってきました。「もう目が見えないでしょう」ツバメさんは言いました。「ずっとそばにいます」 
 「いや、小さなツバメさん」かわいそうな王子さまは言いました。「エジプトに行かないといけないよ」 
 「ずっとあなたと一緒にいます」ツバメさんはそういって、王子さまの足もとで眠りました。 
 次の日、ツバメさんは一日中、王子さまの肩の上に座って、外国で見たもののお話をしました。紅いコウノトリ。ナイル河のほとりに並んでいて、口ばしで金魚をとるのです。スフィンクス。この世界の始まりからあって、砂漠に住んでいて、何でも知っています。商人たち。ラクダの脇をゆっくりと歩み、手には琥珀のビーズを握っています。月の山々の王さま。漆黒よりも黒い肌で、大きな水晶をあがめておられます。ヤシの木の中で眠る巨大な緑のヘビ。20人の僧侶が蜂蜜のケーキをやります。それから、大きな平べったい葉っぱに乗って大きな湖を渡るピグミー族。いつも蝶々と戦争をしているのです。 
 「小さなツバメさん」王子さまは言いました。「すばらしいことを話してくれるね。でも何よりすばらしいのは男たち、女たちの苦しみだよ。苦難ほどに偉大なる苦難はない。僕の街の上を飛んでくれ、小さなツバメさん、そこで何を見たかを話してくれ」 
 そこでツバメさんは大きな街の上を飛びました。お金持ちの人々はきれいな家の中でわいわいと騒いでいました。乞食たちは門の前に座っていました。ツバメさんは暗い路地に入り、飢えた子どもたちの顔が
力なく、外の真っ暗な通りを見やっているのを目にしました。橋を支えるアーチの下には、小さな男の子が2人、互いの腕に抱かれて横になっていました。何とか暖を取ってぬくもっていようとしていたのです。「お腹が空いたなぁ」と2人は言いました。「こんなところで寝ておってはだめだ」夜警が声を上げ、2人はアーチの下から外へ、雨の中をとぼとぼと歩いていきました。 
 それで、ツバメさんは王子さまのところに戻って、自分が見たものを伝えました。 
 「僕の身体は純金で覆われている」王子さまはいいました。「金を剥がしてくれ。1枚、1枚と剥がして僕の貧しい民に与えてほしい。生きている人はいつも、金(きん)で幸せになれると思うようだから」 
 1枚、1枚の純金をツバメさんは剥がし、王子さまはすっかり鈍い灰色になってしまいました。1枚、1枚と純金をツバメさんは貧しい人々に届けました。子どもたちは顔を赤くきらきらと輝かせ、声を出して笑い、通りで遊びました。「今じゃ、パンがあるよ」と子どもたちは大きな声で言いました。 
 それから雪が降ってきました。雪の後には霜が続きました。通りは銀で造られたように、きらきら、ぎらぎらと輝いていました。水晶みたいなしずくを垂らしたつららが、家の軒にぶら下がって、誰もが毛皮を着て歩き廻っていました。あの小さな男の子は紅い帽子をかぶってスケートをしていました。 
 かわいそうな小さなツバメさんはどんどん冷たくなってゆきましたが、王子さまのところを離れようとはしませんでした。王子さまのことがとても好きだったからです。ツバメさんはパン屋の目を盗んで軒先でパンくずをついばみました。ぱたぱたはためいて、ぬくもろうとしました。 
 でもとうとう、ツバメさんは自分が死ぬのだと分かりました。もう一度だけ王子さまの肩に飛び上がる力が残されただけでした。「さようなら、王子さま」。ツバメさんはささやきました。「手にキスをしてもいいですか?」 
 「やっとエジプトに行くのだね、嬉しいよ、小さいツバメさん」王子さまは言いました。「ここには長くいすぎたね、でも、くちびるにキスをしなきゃだめだよ。だって、僕は君を愛しているから」 
 「僕が行くのはエジプトではありません」ツバメさんは言いました。「僕は死の館に行くのです。死は眠りの兄、そうではありませんか」 
 ツバメさんは王子さまのくちびるにキスをすると息絶えて、王子さまの足もとに落ちてゆきました。 
 そのとき、像の中でぱきんというおかしな音がしました。何かが割れたようでした。実は、鉛の心臓がぱきんと音を立てて真っ二つになったのでした。辺りは実に、恐ろしいほどにひどい霜でした。 
 翌日の早朝、市長さんが議員さんを連れて、下の広場を歩いていました。台座を過ぎると、市長さんは像を見上げて言いました。「まったく、みすぼらしい幸せな王子さまじゃないか」 
 「実にみすぼらしい」と議員さんたちも大きな声で言いました。いつでも市長さんの言うことに賛成するのです。みんなは、王子さまを見ようと上がってゆきました。 
 「ルビーは剣からとれているし、両目もなくなっている。もう金もなくなった」市長さんは言いました。「こいつは乞食も同然だな!」 
 「乞食も同然!」議員さんたちも口を揃えました。 
 「それに、ここ、この足もとには死んだ鳥がいる!」市長さんは続けました。「鳥はここで死ぬべからずと布告せんといかんな」。街の書記さんはこれをメモしました。 
 それで、街は王子さまの像を取り壊しました。「もはや美しくないのなら、もはや役に立たぬ」と大学の美術の教授は言いました。 
 次に街は、像を炉の中で溶かし、市長さんは金属をどうするかを決めるために企業の会議を開きました。「別の像がいるのはもちろんだが」彼は言いました。「私の像でなければならぬ」 
 「私の像ですとも」と議員さんがそれぞれ言い合って口論になりました。私が最後に彼らの声を聞いたときは、まだ口論をしていました。 




 「おかしいぞ!」鋳造所で仕事をしていた男たちの監視員が声を上げました。「この割れた鉛の心臓は、炉の中でも溶けないじゃないか」。それで、皆は心臓をゴミ溜めに投げ捨てました。そこには死んだツバメさんも横たわっていました。 




 「この街でもっとも貴重な2つのものを持ってきなさい」神さまは天使の1人におっしゃいました。天使は、鉛の心臓と死んだ鳥を神に届けました。 
 「よくぞ選んできた」と神さまはおっしゃいました。「楽園の私の園(その)では、この小さな鳥にずっと歌わせよう。そして、私の黄金の街では、幸せな王子に神を賛美させよう」と。