Thursday, March 31, 2011

諸富祥彦『孤独であるためのレッスン』書評

 
 僕が深い魅力を感じる人は例外なく、他者が立ち入ることを許さない内面世界を保っているように思える。それは、深海のように謎めいているのに、ある種の威光のように彼/彼女に対する人に畏れを抱かせる、何かだ。本当の意味での愛がどのようなものかは僕にはまだ分からないが、少なくとも、本当の意味での他者への敬意は、この畏れに基づくものではないかと感じる。

 この立入り禁止の空間は、他者との交流の刺戟によって豊潤になるのだが、それを護るのはじぶん独りである。これは、本書を手に取る人ならば、承知の事実であると思う。ところが、現代の日本において、この空間を護るのは容易でない。「世間」の「空気」や風土や時代を批判するのはあまりに容易なのに。

 本書はこの実践において、トランス・パーソナル心理学のカウンセラーの観点から、実に有益な示唆を与えてくれる。本書最終章で紹介される、身体感覚を研ぎ澄まし、内面の声を聴く「フォーカシング」と呼ばれる手法がそれだ。この、自身との対話によって、一次的な自己である〈私〉は、超越的で普遍的な〈私〉へと開かれるという。私自身、本書を読むことで、日常の気忙しさからしばし解放され、自分と深く対話する契機を得られた。これは収穫だ。しかし、私自身は本書の主張すべてを肯う立場にはない。

 もっとも違和感を抱いたのは、本書第3章で、キリスト教の説く隣人愛についてのキルケゴールの解釈を引く箇所だ。キルケゴールによると、「汝、隣人を愛せ」という命令は、特定の人を愛してはならないという禁止だという。そして、著者は、そうした「普遍的な」愛を、われわれが抱く個々の愛に優越したものだとする。しかし、私はそのような「普遍的な」愛などおめでたい話だと考える。人を遍く愛しているとは、畢竟誰も愛していないのと同義である。

 かつて、社会学者の見田宗介は、人生の真の喜びも真の絶望も、他者との関係の中に存することを指摘した。人生の真の喜びとは、その人に固有の愛であり、真の絶望とは、絶対的な孤独に違いない。そもそも私たちは、具体的な他者から〈他者〉として承認されることなしに、生きていくどころか〈私〉として存在することもできないのだ。

 著者は、こうした具体的な他者に、具体性を与えることに成功していないように思える。「孤独」について語ろうとするあまり、その反対側の他者の概念を疎んじてしまった。本当は、他者についての問題もまた、筆者も含め、誰もにとって切実なもののはずなのだ。

 今日ますます、じぶんひとりの内面世界を護り、育むことは難しい。ほんとうはもっとひとりになりたい。もっと深く内面を追究したい。これは、私にとっても切実な要望だ。しかし、私の人生の中に〈他者〉がいてはじめて、私の人生は意味を帯びる。この辺りの按配が難しいのだ。



Tuesday, March 29, 2011

黒澤明『生きる』映画評





 「生きる」とは何であるか、これほど困難で切実な問いは他にない。
 
 この作品の主人公は、胃癌に冒された、30年間無欠勤の役所職員だ。真面目ではあるが、日々を無難に、惰性で過ごしてきた彼を、黒澤は「本当の意味では生きてこなかった」と断じる。或いは、主人公自身も、自分が間もなく死ぬのだと知って、これまで「生きて」こなかったことを、涙を流して悔恨する。
黒澤が見出した(本当に)「生きる」ことは、惰性の対極にある。彼が描くのは、厳しく、同時に温かい心象だ。

余命幾許もないと知った主人公は、酒を飲み、独り大正時代のラブソングを歌い、涙する。(命短し。恋せよ、乙女。…)天真爛漫な女性部下に、うっとうしがられるまで(つまりその関係が惰性になるまで)「一緒にいてくれ」という。(彼は全く不器用な男なのだ。) 死を覚悟した彼は、煩雑な役所手続きの中で役所内をたらい回しにされ頓挫していた、公園建設の計画実現に向け、身を粉にして働く。

朴訥とした彼は、華麗なリーダーシップを発揮することはできない。公園のために懸命に働き、目立たぬままに死ぬ。物言わぬようになった彼の功績を軽んじ、手柄を横取りしようとする人たちもいる。

彼が死んでも、結局役所は何も変わらない。無責任な人間たちによる、仕事のたらい回しは相変わらずだ。

男は死んだ。しかし、彼は荒地に公園を遺し、本当に「生き」始めた彼は、一握りの人たちに「生きる」とは何か身をもって教えた。

生きることとは、本質的に孤独な営為であり、惰性の対極に位置づけられるものだ。決して華やかではない彼の生き方が私たちの胸を打つのは、私たち誰しもにとっての陥穽である、惰性的な日常を彼は脱却し、意欲的・主体的に平凡な日常を生き抜いたからだ。私たちの日常は、通常はドラマティックなものではないのだから、黒澤の提示してみせた物語は、「生きる」という主題において、普遍的であり、本質的なものなのだ。

ちなみに、主人公を演じるのは、『七人の侍』で武士のリーダーを演じた志村喬。ここにはそれとは全く異なる志村喬がいる。



Sunday, March 27, 2011

『オリバー・ツイスト』Oliver Twist (2005) 映画評


 19世紀イギリスの生んだ文豪、チャールズ・ディケンズ原作の小説の映画化。原作を読んではいないが、当時の少年、孤児たちが置かれた劣悪な環境を告発するという、啓蒙的な意味合いも含んだ作品であったという。

奴隷のように労働させられる子どもたち、盗みに手を染める子どもたち、そうした彼ら、彼女たちを利用する醜悪な大人たち、こうした構図は、全くとは言わないまでも、われわれの生きる現代社会とは大きく異なるものだ。それでは、ディケンズが、彼自身も身を置いた当時の悲惨を告発した意義は、今日にあっては無意味か。彼の文学的企みは空振りか。そうではない。

原作は読んでいないので、この映画についての言及であるが、古典的な小説らしく、「善」の側に位置づけられた人間と、「悪」の側に位置づけられた人間との対照は明瞭ではあるのだが、「悪者」である組織の人間たちにも、積極的に彼らなりの善なる人間性、心の痛みが与えているのは印象的であった。たとえば、盗人の集団のリーダー格の老人、フェイギンが、かつて仲間であり今は失われた、スリの子どもたちを(その盗品を通して)懐かしむシーン、あるいは、グループの一味になってしまった運命を悔いる情婦が、声を荒げて自らの運命を呪い、幼く無垢なオリバーだけはと庇うシーンなど。

(以下、映画のクライマックスに触れます)




映画のクライマックスで、恩着せがましい盗人ではあったが、食事の世話をしてくれたフェイギンが死罪になるにあたって、刑務所の中で錯乱状態にある彼に、幼いオリバー自ら会いに行くシーンは印象深かった。人が生きていくとき、人と死別することは避けられない。10歳のオリバーには過酷であったのかもしれないが、狂い、死にゆく(死罪になる)老人との面会は、無垢な善意を持ち合わせただけの、未熟な自我のオリバーが、大人になるための通過儀礼であったのかもしれない。

現代の私たちが物語の中に見出せるのは、人を翻弄する運命、人間の醜悪さと善、そして、その不確かさだ。主人公のオリバー・ツイストは、過酷な運命を乗り越え、ハッピーエンドを迎える少年である。しかし、われわれにとってのこの物語の現代的な魅力は、少年オリバー・ツイストが結局「あほらしいほどに」幸福になる「にもかかわらず」、彼を捉え、抗うことを許さないような残酷な運命や「悪魔の囁き」もまた可能性としたあったことに想いを馳せてみること、あるいは、「悪」の一味がじっさい悪者であったのは、必然ではなく偶然であったかもしれない、つまり、彼らは、まるで振り子の揺れを途中で止めてしまうように、紙一重で悪人の側に置かれてしまったのではないかと考えてみることにあるのだと思う。


Wednesday, March 23, 2011

烏賀陽弘道 「朝日」ともあろうものが。 書評 



マスコミが批判されるようになって久しい。ネットが普及する前も、テレビ局への「苦情」の電話は日常茶飯事だったと聞く。ネットで誰もが(多くの場合匿名で)情報を発信するようになった今日では、マスコミ批判は叢生している。その多くは(批判されるマスコミと同じように)陳腐な定型句の使用を免れ得ないでいるが、SNSの普及を決定的な契機として、「日本のマスコミは『本当に』やばいんじゃないのか」と感じる人はますます増えている。記者クラブをはじめとした、システムの構造的欠陥については今では多くの人の知るところとなったし、海外報道との比較の上から、日本の報道の貧弱さを(多くの場合冷笑的に)指摘する声も頻繁に聞くようになった。

『「朝日」ともあろうものが。』というのは、今では少し古くなったように感じられる、マスコミ批判の定型句だ。朝日新聞ほどの権威がありながら、あなた方のようなエリートが、一体どういうつもりで…というわけだ。残念ながらというべきか、数年前まで日本のマス・メディアの持っていた権威は、SNSの普及で今日ますます相対化されている。定型的な報道しかしない日本のマス・メディアに愛想をつかした人はますます増えている。英語を初めとした外国語が使える人は、日本のニュースを(補完的にというより「代替的に」)外国語でとるような事態も起きている。この度の大地震に引き続いた福島原発事故について、Twitter上では、NYTBBCなどの外国メディアが、正確さや冷静さにおいて優っていたことを多くのジャーナリストや専門家が指摘したのは象徴的だ。

 本書は、著者が17年間朝日新聞社に勤務した経験を描いたものである。記者クラブ内においては、取材される側からする側への物品の贈与があったこと(要するに癒着があったこと)や、ハイヤーやタクシー券を自由に使える環境で多くの記者が「庶民感覚」を失い、不遜で傲慢になっていくこと、あるいは、少なくとも朝日新聞社は、プロのジャーナリストとしての向上心をあからさまに削ぐような制度に基づいて、上司が部下を査定していたことなどを、ときに私憤を交え、ときに当時の迷いや苦痛を想起しながら描いている。あるいは、90年代にAERAに異動になったとき、意気揚々と誌面を創っていた、著者にとっての懐かしい想い出も。

 半自伝的な本書で描かれる、新聞記者としての仕事を始めたばかりの著者の絶望は、僕が大学を卒業して入った銀行で味わった絶望と重なった。僕はもちろん新聞記者ではないし、1年足らずで心身を壊して銀行を辞めてしまったのだが、自分の人生に重ねながら、そうであったかも知れない自分を想いながら、小説を読むように、夢中でページを繰って読んだ。過酷なほどの理不尽の中で、著者がジャーナリストとして腐ってしまわなかったのには敬服した。(だから、「自分に重ねた」と言うのはおこがましいのだが)。著者が自力で奨学金を獲得し、自費でコロンビア大学の大学院に勉強しに行ったのは、現在の僕と同い年のときだ。まったく、この人のプロとしての向上心には恐れ入る。会社が全然協力的でない中、激務の中に、これだけの心構えをし、実行したのだから。だからなおさら、90年代後半以降の、会社の待遇が描かれる箇所では愕然とした。もっとも、著者が退社していなければこの著作が書かれなかったのはもちろん、著者のことを知ることもなかったかもしれないのだが…。この本を読んで、日本の新聞社の抱える構造的な欠陥を知ることができたこと、そして何より、面白い小説を読むように著者のジャーナリスト半生を追うことができたことは、愉しく幸福な読書体験であった。

 現在フリーで活躍されているジャーナリストの烏賀陽弘道さんを、これからも心より応援したい。

Thursday, March 17, 2011

七人の侍 映画評




桁外れの映画だ。

今まで自分が時代劇と思っていたもの、大河ドラマはなんだったのか。確かに、これまでの時代劇が鼻につくことはあった。現代のテレビ文化にぴったり合うように、現代人が付け加えたチープな華やかさ。荒々しさ、猛々しさ、血生臭さのない殺し合い。大人になってから、好んで観た作品は不幸にもひとつもない。

この映画は、そうした現代のコマーシャリズムの中で増産されてきた時代劇とは一線を画する。一線を画するという物謂いでさえ、この映画に対して失礼かもしれない。この映画を観てしまうと、今つくられている時代劇は、幼稚園の劇の発表会のようだ。

まず、役者たち、志村喬をはじめとする役者の侍の胆力が違う。僕が6年間剣道を稽古していたとき、しばしばそうした精神論が語られることがあった。黒澤も剣道の稽古をしていたからであろうか、日本刀での命の駆け引きをすること、一瞬の火花のように一撃で相手を殺すこと、僕は当然ながらそういう経験はないに決まっているのだが、黒澤は、そういう世界に生きる侍、戦国時代の殺し合いを、白黒の画面の中に、「鮮やかに」甦らせる。だから、彼らの胆力に恐れ入り(これは演技なのか?)、彼らの激しい戦闘を、一瞬の命のやりとりを、現場で見ているような錯覚を覚えることになる。志村演じる侍のリーダーと対照的な、三船演じる破天荒な農民上がりの兵の魅力もたまらない。あの闊達さ、破天荒を演じるような役者が存在した事実があったことだけでも奇蹟だ。



対照的な2人。






侍に用心棒を頼んだ農民たちの描き方もまた、鮮やかだ。黒澤は彼らを単なる弱者の集合として描いていない。(それは、小学校の社会科の教科書の世界だ)。農民たちは、野武士を恐れる存在でありながら、落武者を襲って盗品を蓄えるような賢しさをもち、ときに感情を爆発させて怒り、ときにからからと笑い、怯え、戦い、固唾を呑む。ひとりひとりが違う人間として立ち現れ、物語を彩る。



黒澤の映画は、人間性をすべて描いている、と言うアメリカ人の友人がいる。この映画で描かれているものだけでも、勇気、恐怖、憎悪、歓喜、絶望、恋慕…きりがない。それらを探究し、鮮やかに描出していながら、この映画はちっとも難解ではない。そして、背景となる時代も違うのに、この作品が時代や国を超えて人々を魅了し続けるのは、そうした人間の本質の一端を描くことに成功しているからに違いない。

あらためて、『七人の侍』は、ずば抜けた作品だ。3時間を超える大作だが、その面白さから長さは気にならないほどだし、DVDなら2枚組みになっているから、誰もがタイトルを知るこの映画をどうか敬遠せずに見て欲しい。

Tuesday, March 08, 2011

茨木のり子 永遠の詩 02 評



詩人、茨木のり子の代表作を集めた詩集。

戦中期にあたる少女の頃、「ほっそりと/蒼く/国をだきしめて/眉をあげていた/菜ッパ服時代の小さいあたし」から、亡くした夫を想い、自らの死を思う晩年まで、時期も素材もさまざまな詩が収録されている。選と、各詩に短く添えられた解説文は、詩人の高橋順子による。

茨木のり子の詩は広く読まれ、そのいくつかはネットで手軽に読むことができるが、身銭を切って詩集を買い、居住まいを正して、食物をゆっくりと味わい咀嚼するように作品を読む悦びには比べようもない。

彼女の詩の味わいを簡単な形容詞でまとめることは不遜であるかもしれないが、どの作品もたおやかで、弱い者への眼差しは、優しく、厳しい。

本詩集にもいくつか収録されている、1975年に逝った夫を回顧する詩は、彼女の死後に見つけられ、詩集『歳月』にまとめられたという。表題作『歳月』や『夢』などの作品は初めて読んだが、彼女の変わらぬ夫への愛が、夫の不在への鋭い感受性が胸を打つ。優しいのに哀しく静謐で、よく知られた彼女の詩とはかなり趣を異にする。

惰性で日々を過ごすとき、ものを考えずに流されるとき、退屈に気が散り居心地悪いとき、孤独が淋しく苦しいとき、美しい自然やことばに感じなくなったとき、居住まいを正して、何度も何度も彼女の詩を読もうと思う。




Sunday, March 06, 2011


(2009年9月5日に書いた小さな物語です)

森の中の小川のせせらぎを、一匹の蛙が一葉の舟に乗って、流れに逆らって進んでいた。しとやかな雨が降っていた。 
道なき道を、鉈でざくざくと蔓を払い、藪を掻き分けてきた旅人は、足を止め、凝然と蛙に見入った。 
蛙はひたすらに小さな棒切れで舟を漕いでいたが、旅人に気づくと、舟を漕ぐのを止めた。流れは舟を淀みへと運び、舟は止まった。 
「こんにちは」 
と旅人を見上げて蛙が言った。 
「こんにちは」 
と蛙を見下ろして旅人も言った。 
「井戸に行くんです」 
と蛙は言った。 
「井戸は、僕たちの墓場です。丸い井戸で、周りに石の囲いがあります。深さはそんなにありません。5メートルといったところでしょうか。朽ち果てた井戸です。昔は人間が使っていたんでしょうが、今では使う者はいません。水が出ないんですから。井戸の底には、蛙の骸骨が無数にあるんです。形が崩れたのもありますが、たいていは、そのまま、そう、蛙の形のままでずっと残っています。真っ白な骸骨です。2つの眼窩が、どこでもない場所を見すえています。そういうのが、井戸の中に散在してるんです。『骨のように乾いた』(dry as a bone)というのは、人間がよく使うことばですね。ねえ、骨というのは、ほんとうに、からからに乾いているんですよ。井戸は枯れています。夥しい蛙たちの骸骨も、からからです。ときおり雨が降って、骨は洗われ、黒い土から雑草が芽を吹きます。そんな場所です」 
「君は…そう、君は、これから死ぬのかい?」 
「そうです」 
「どうして?」 
「蛙は、そうですね、潔いと言ったらよいのでしょうか。死ぬのを怖れたり逡巡したりしないんですね」 
「死期が近いことを悟ったの?」 
「そうですね。それもあります。目もあやな翡翠色の身体は、今ではくすんで醜い深緑。つるっとした真っ白なお腹はたるんできました。ジャンプができなくなって、虫が捕まえられません。それでね、井戸のことを知って、そりゃ、孤独に死ぬよりは、同胞の蛙たちと死ぬほうがいいと思ったんです。蛙というのは、孤独な生き物です。産まれるときは、たくさんのきょうだいと一緒に卵で産まれてきますけど、でも、人間と違って、母親の無償の愛だって知らないし、父親の理不尽な厳しさだって知らない。きょうだいのほとんどは、おたまじゃくしのうちに、あの、いまいましい魚というやつに食べられてしまいます。運よく蛙になれても、いつもひとりぼっちで、蛇や鳥にびくびくしてなくちゃいけません。ねぇ、白骨化したあまたの蛙がいる井戸って、すてきだと思いませんか。僕たちの記憶は、ひっそりとそこに蓄積されているんだ」 

旅人は、母親も父親も亡くしていた。きょうだいはいない。母親の愛情に浴した記憶も、父親の不条理な怒りに涙した記憶もない。妻はおろか、恋人もいない。友だちの葬式に出たこともないし、自分の葬式に来てくれる友だちもいない。旅人もまた、孤独だった。おれの記憶はどこに蓄積されるのだろう。記憶が断片的に浮かんできた。ある記憶はくっきりとした輪郭をもち、ある記憶はぼやけていた。記憶は、時計の時間のように単調ではなかった。それらは濃淡があり、思い出される順序はてんでばらばらだった。 

「君と一緒に井戸に行きたい」 
と旅人は言った。 
「それは、だめです。あなたがいると、死ねない」 
と蛙は言った。

Thursday, March 03, 2011

英国王のスピーチ(原題"The King's Speech")映画評



英国王ジョージ6世が、吃音というハンディキャップを乗り越え、第二次大戦開戦(対ドイツ宣戦布告)を世界に向けて(当時世界の4分の1は大英帝国領であった)ラジオ放送するまでの物語。

開戦の1939年のラジオ放送が「ゴール」であるかのように(まさに映画のように!)、「友人」である吃音治療の専門家である吃音を克服していったのは脚色かもしれないが、歴史を描いた映画に脚色はつきもの、無粋なことは言わない。

トイレの近い僕にとって2時間は結構な長さだが(コーヒーの飲み過ぎかもしれない)、時間が経つのを忘れるくらいに堪能することができた。たびたび劇場でくすくすと笑い声がこぼれるくらいにあちこちに散りばめられたイギリス流ユーモアはどれも可笑しかったし、少しずつ明かされていく吃音の原因(であろうと思われる事実)と少しずつ吃音が改善されていく様子にすっかり引き込まれた。そして何より、治療者とジョージ6世(即位する前はヨーク公爵)の「友情」が深まっていくのを見ているのがとても愉しかったのだ。(治療者は、国王の子息である彼に、初めから互いをファーストネームの愛称で呼ぶように要求したのだ!)吃音のジョージ6世を演じるコリン・ファースがさすがアカデミー主演男優賞を受賞しただけあってすばらしいし、治療者であり彼の友人であるジェフリー・ラッシュの演技は円熟の域だった。

参考になる史実を確認しておくと、彼の父であるジョージ5世は、1932年にクリスマス放送を開始、「国内聴取率91%、海外からの大反響によって国王のクリスマス放送は恒例行事となった。193556日、(ジョージ5世の)在位25周年を祝う『タイムズ』社説は、「国王は国民に対し、父親が子供に対するように話しかけ、ついにはその顔と同じくらいその声が知られるようになった」ことを称えた。「イギリス王室の国民化」はここに完成する…王室の伝統とニューメディアの結合が、この大変動期にあってイギリス国民に心理的安定感を与えたことはまちがいない」。(佐藤卓己 現代メディア史pp.155-56)「この戦争を通じて、BBC放送の英語が標準英語と理解されるようになった」(同前p.157)(今日にあって、「標準英語」という語には個人的には違和を感じるが、しかし、当時においては、総動員体制に寄与した重要な概念であったことは想像に難くない)。

ラジオを通して統一される国民意識、やがて大戦に総動員されることになる国民意識の焦点にあった王は、戦後も立憲君主としての役割を全うし、今日でも尊敬されているという。ひょっとしたら事実は、内面に深い孤独(に加え無力感)を抱えていたのかもしれないが、愛する家族と、味わい深い個性をもった治療者との(ときにユーモラスな)交流に心がほっこりと温かくなった。

映画を飾ったモーツァルトのクラリネット協奏曲(K.622 mvt2)や、ベートーヴェンの交響曲第7(mvt2)も印象深く、聴きなおすと自然にこの映画を思い出す。32日、すてきな映画を観て、神戸のシネ・リーブル(単館系劇場)で至福の時間を過ごすことができた。

 ちなみに映画で描かれていた、1939年のジョージ6世の宣戦布告を告げるラジオ放送は以下で聴くことができます。

Tuesday, March 01, 2011

『幸せな王子さま』 (Oscar Wilde 'The Happy Prince' 1888年発表 中野拓訳) 



  街の上に高く高く、まるくて高い台座の上に、幸せな王子さまの像が立っていました。王子さまは身体中、薄い本物の金箔で包まれていました。目には二つのサファイア、そして剣の柄(つか)には赤い大きなルビーがきらきらと光っていました。 
 王子さまのことを、みんながすごく褒めました。「王子さまの美しさったら、風見鶏みたいだね」と街の議員さんのひとりが言いました。美しさがわかる人だと思われたかったのです。「そんなに役には立たないけど」とわざわざ付け足していいました。自分がしっかりしていないと思われたら嫌だったからです。でも、しっかりしていないなんてことはありませんでした。 
 「どうして幸せな王子さまみたいになれないの」と分別あるお母さんが、無いものねだりをする小さな息子に言いました。「幸せな王子さまは、決して何かをねだったりしないのよ」 
 「この世にほんとうの幸せ者がいるってのはいいな。」ある落ち込んだ男が、すばらしい像にじっと見入りながらそう言いました。 
 「王子さまは天使みたいだね」と、恵まれない人たちへの寄付でできた学校に通う子どもたちが言いました。子どもたちは、お祈りの大聖堂から出てきたところでした。鮮やかな朱色のマントと、白くて清潔なエプロンを着ていました。 
 「どうしてそんなことが分かるのかね?」と数学の先生が言いました。「お前たちは天使を見たことがないだろう」 
 「あ、でもあるよ、夢で見たもん」と子どもたちは答えました。それで、数学の先生はむっとして、怖いようすになりました。先生は、子どもたちが夢を見ることは悪いことだと思っていたからです。 
 ある夜、街の上空を小さなつばめさんが飛びました。つばめさんの他の友だちは、その一月半前に、遠くエジプトに行ってしまいましたが、このつばめさんだけは残っていました。つばめさんは、いちばん美しい葦さんに恋をしていたからです。春の初めの頃、つばめさんは、大きな黄色の蛾を追いかけて川を下って飛んでいたときに、葦さんに出会いました。葦さんの細い腰にすっかり心ひかれて、つばめさんは、葦さんとお話をしようと飛ぶのをやめたのです。 
 「好きでいてほしい?」とつばめさんは訊きました。つばめさんは、大切なことはすぐに言いたがる方だったのです。葦さんは深々とおじぎをしました。つばめさんは葦さんの周りをくるくると飛びました。両方の翼で水に触れ、銀色のさざ波を立てました。これがつばめさんの求愛、これは、夏の間ずっと続きました。 
 「ばかな恋だねぇ」他のツバメたちはみんなちゅんちゅんとさえずりました。「葦さんにはお金も無いし、親戚づきあいだってたいへんだろうに」じっさい、川辺にはとてもたくさんの葦が茂っていました。そして、秋が来ると、みんな風で散ってしまうのです。 
 他のツバメさんたちがみんないってしまうと、ツバメさんは寂しくなりました。そして、恋人にも飽き飽きしてきたのです。 
 「話もできないし」とツバメさんは言いました。「遊んでる女かもしれないぜ。だってさ、いつも風といちゃついてばっかり」確かに、風が吹いてきたとき、葦さんはいつもいちばんきれいにお辞儀をしました。「家にいてくれるのはいいよ」ツバメさんは続けました。「でも、僕は旅が大好きだし、だから、奥さんだって旅が好きじゃなくちゃいけない」 
 「一緒に来てくれない?」とうとうツバメさんは葦さんに言いました。でも、葦さんは首を振りました。お家にすっかり根付いていたのです。 
 「ずっと僕のことを軽く見てる!」ツバメさんは叫びました。「僕はピラミッドに行く。さよなら!」そして、ツバメさんは行ってしまいました。 
 ツバメさんは一日中飛んで、夜になって街に着きました。「どこに泊まろうかな」ツバメさんは言いました。「街が仕度をしてくれてるといいんだけど」 
 そして、ツバメさんは台座の上の像を見ました。「あそこに泊まろう。美味しい空気がいっぱいの素敵な場所」そして、ツバメさんは、幸せな王子さまの両足の真ん中に止まりました。 
 「金色のベッドルームだ」ツバメさんはきょろきょろしながら優しくつぶやきました。そして眠る仕度をしました。でも、ちょうど頭を片方の翼に入れようとしたとき、大きな水のしずくがツバメさんの上に落ちてきました。「あれれ、空には雲ひとつないのに…星ははっきり見えてきらきらしてる。それなのに雨が降ってるなんて…ヨーロッパの北に行くとひどい気候だよ。葦さんは雨が好きだったな…でもそれは葦さんがわがままなだけだよ」 
 それからもう一粒。 
 「雨宿りもできないとしたら、像なんて何の役に立つんだよ。いい煙突を探さなきゃな」ツバメさんは心を決めて飛んで行くことにしました。 
 でも翼を広げる前に、3粒目が落ちてきて、ツバメさんは頭を上げました。目に入ってきたのは…何と、ツバメさんは何を見たのでしょう。 
 幸せな王子さまの両目は涙で一杯で、涙は金色の頬っぺたを伝っていました。王子さまの顔は月明かりの中でとても美しく、小さなツバメさんは哀しさて胸がいっぱいになりました。 
 「どなたですか」とツバメさんは言いました。 
 「幸せな王子だよ」 
 「だったらどうして泣いているのです」ツバメさんは言いました。「ぐっしょり濡れてしまいました」 
 「生きていたころは人間の心臓があったんだ」像は答えました。「涙が何なのかも知らなかった。だって、哀しみは立ち入り禁止のサン・スーシ宮殿に住んでいたから。昼間は仲間と庭で遊んだ。夜は大広間で真っ先に踊った。庭の周りにはすごく高い壁がそびえていてね、でも、壁を越えたら何があるのか一度も訊かなかった。僕の周りはとっても美しかった。けらいたちは僕のことを『幸せな王子さま』って呼んでね、じっさい幸せだったんだよ。もし楽しいことが幸せってことだとしたらだけどね。そんなふうに生きて、そんなふうに死んだんだ。もう死んでしまったから、家来たちはここにとても高い僕の像をしつらえた。だから、僕は、僕の街の醜いもの、みじめなものが全部見えるんだ。僕の心臓は鉛でできているのに、泣かずにはいられないよ」 
 「えぇ!これは金のかたまりじゃないのか」ツバメさんは思いました。でも礼儀正しいから個人的なことは口にしません。 
 「ずっと遠くに」像は低い音楽のような声で続けました。「ずっと遠くの小道に貧しい家がある。窓が1つ開いている。窓から、テーブルについている女の人が見える。顔は細くて疲れきっている。荒れた真っ赤な両手をしてる。ぜんぶ針で刺したんだ、裁縫屋さんだから。今、女王さまの侍女の中で一番の美人が次の宮中舞踏会で着る、繻子(しゅす)のガウンにトケイソウを刺繍してる。部屋の隅っこのベッドには、小さな息子さんが病気で横になってる。熱があって、オレンジをちょうだいって。でもお母さんは川の水しかあげられない。それで男の子は泣いてる。ツバメさん、ツバメさん、小さなツバメさん、僕の剣の柄(つか)からルビーを取って届けてあげてくれないか。僕は両足を台座に固定されて、動けないんだ」 
 「エジプトで待ってくれている仲間がいます」ツバメさんは言いました。「友だちは、ナイル河を上がったり下ったり、大きなハスの花とお話しています。これからすぐに偉大な王さまのお墓の中で眠るでしょう。王さまはそのお墓にひとり、色塗られた棺の中におわします。黄色の亜麻布にくるまれて、香辛料でお化粧されています。首の周りには薄い緑の翡翠(ひすい)の鎖がかかっていて、両手はしおれた葉っぱみたいです」 
 「ツバメさん、ツバメさん、小さなツバメさん」王子さまは言いました。「1日だけ僕と一緒にいてくれないか。届け物をしてほしい。男の子はとても喉が渇いているし、お母さんはとても悲しんでいる」 
 「僕は男の子っていうのが好きじゃないけど」ツバメさんは答えました。「去年の夏、川にいると、失礼な男の子が2人いたんです。粉屋の息子たちで、いつも僕に石を投げてくるんです。もちろん石に当たったりはしませんでしたよ。僕たちツバメはそんなのよりうんと速く飛べるし、僕はすばやさで有名な家の出だから。それでも、あれは失礼な証拠です」 
 そうは言ってみたものの、王子さまはとても哀しそうだったので、小さなツバメさんも気の毒になりました。「ここはとても寒いです」ツバメさんは言いました。「でも、1日だけ一緒にいて、お届け物をします」 
 「ありがとう、小さなツバメさん」王子さまは言いました。 
 それでツバメさんは、王子さまの件から大きなルビーを取り出して、口ばしに加え、屋根から屋根へひとっ飛びしました。 
 ツバメさんは、大聖堂の塔を通り越しました。そこには白い大理石の天使たちの彫刻がありました。宮殿を通り越して、ダンスの音を聞きました。美しい女の人が、恋人と一緒にバルコニーに出てきました。「星がなんてみごとなんだろう」恋人は女の人に言いました。「そして愛の力も!」「私のドレスが舞踏会に間に合うと良いのですが」女の人は答えました。「トケイソウを刺繍するように注文したのです。でも裁縫屋がとっても怠け者でして」 
 ツバメさんは川を越え、船の帆の柱に提燈がかかっているのを見ました。ユダヤ人の街では、年寄りのユダヤ人が商売をして、銅の秤でお金を測っていました。とうとうツバメさんは貧しいお家まで来て、中を見ました。男の子は熱を出して、ベッドで寝返りを打っていました。お母さんはもう眠っていました。とても疲れていたのです。ツバメさんはひょいっとジャンプして中に入り、大きなルビーをお母さんの指ぬきのそばに置きました。それからベッドの周りを優しく飛んで、男の子の額に風をあてて冷やしてやりました。 
「涼しい」男の子は言いました。「きっとすぐに良くなるよ」そう言って、男の子はぐっすりと眠りに落ちました。 
 それからツバメさんは幸せな王子さまのところに戻り、自分がしたことを伝えました。「面白いんですよ」ツバメさんは言いました。「暖かく感じるんです。こんなに寒いのに」 
 「いいことをしたからだよ」王子さまは言いました。それで小さなツバメさんは考えだしたのですが、眠ってしまいました。ツバメさんはいつも、考えると眠くなったのです。 
 夜が明けると、ツバメさんは川に飛んでいって水浴びをしました。 
 「なんと目覚ましい現象ではないか」鳥類学の教授は橋を渡るときに言いました。「冬にツバメがいるとは」そして、その先生は、街の新聞に長い手紙を書きました。みんな、新聞に載ったことをそのまま話しましたが、あんまりにも長い文章で、誰も理解できませんでした。 
 「今晩は僕はエジプトに行きます」ツバメさんは言いました。ツバメさんは期待で胸がいっぱいでした。ツバメさんは、記念碑にはみんな行ってしまって、長いこと教会の塔のてっぺんに座っていました。どこへ行ってもスズメさんが「めずらしいお客だね」とちゅんちゅん言い合いました。だから、ツバメさんはとても愉快に思いました。 
 月が昇り、ツバメさんは幸せな王子さまのところに戻りました。「エジプトへのお使いはありませんか?」ツバメさんは大きな声で言いました。「もう行きますよ」 
 「ツバメさん、ツバメさん、小さなツバメさん」王子さまはいいました。「もう一晩僕と一緒にいてくれないか」 
 「エジプトで仲間が待っています」ツバメさんは答えました。「明日は友だちが第2大滝昇りをするんです。イグサの中では、かばが一匹横になっています。大きな御影石の玉座には、メムノーンの神さまがおわします。一晩中星をご覧になっていて、夜明けの星が輝いたら、喜んであっと叫ばれ、それから黙ってしまわれるのです。正午には、黄色いライオンたちが水辺にやってきます。緑のエメラルドみたいな眼をしていて、吠えると大滝のとどろきよりもすごいんです」 
 「ツバメさん、ツバメさん、小さなツバメさん」王子さまは言いました。「遠く街を越えて、屋根裏部屋に若い男がいる。台本用紙でいっぱいの机に身をかがめている。そばの花瓶の中には、しおれたスミレの花束が差してある。髪は茶色で細かくちぢれていて、くちびるはザクロほどに紅い。大きくて眠たそうな眼をしている。劇場監督のために芝居を仕上げようとしているが、これ以上書くには寒すぎる。暖炉には火がなく、お腹が空いて倒れてしまったのだ」 
 「もう一晩だけご一緒しましょう」ツバメさんは言いました。ほんとうに、ツバメさんは良い心を持っていましたから。「ルビーを届けましょうか?」 
 「ああ、だめだ!僕にはもうルビーがない」王子さまは言いました。「僕には、珍しいサファイアでできた眼があるだけだ。千年前にインドから持ってこられたものだ。片方を引き抜いて彼に届けてくれ。宝石屋に売って、食べ物とたきぎを買って、芝居を書き上げるだろうから」 
 「王子さま」ツバメさんは言いました。「僕にはそれはできません」そして、ツバメさんは泣き始めました。 
 「ツバメさん、ツバメさん、小さなツバメさん」王子さまは言いました。「言うとおりにしてくれ」 
 それでツバメさんは、王子さまの片目を引き抜いて、学生の屋根裏部屋に飛んで行きました。屋根に穴が空いていたから、中に入るのはたやすいことでした。穴を突き抜けて、部屋に入りました。若い男は両手に頭を抱えていたので、鳥の羽音を聞くことはありませんでした。男が顔を上げると、しおれたスミレの花束の上には美しいサファイアがありました。 
 「認められてきたぞ」男は叫びました。「おれを認めてくれる、どこかの偉い人からだ。これでもう芝居を書き上げることができる」。男はとても幸せそうでした。 
 翌日、ツバメさんは港に飛んで行きました。大きな船の帆の柱にちょこんと座って、船員たちが船の倉庫からロープで大きな箱を引きずり出すのを眺めていました。「よっこら、せぇ」箱が上がってくるたびに船員たちは叫びました。「エジプトに、行くんだ!」ツバメさんも叫びました。でも、気に留めてくれる人は誰もいません。月が昇ると、ツバメさんは王子さまのところに飛んで行きました。 
 「お別れを言いに来ました」ツバメさんは大きな声で言いました。 
 「ツバメさん、ツバメさん、小さなツバメさん」王子さまは言いました。「もう一晩だけ僕と一緒にいてくれないか」 
 「今は冬です」ツバメさんは答えました。「ここでも間もなく、冷たい雪が降ります。エジプトでは緑のヤシの木に暖かな日差しが注ぎます。泥の中のワニたちが気だるそうに辺りを眺めています。仲間たちはバールベク寺院の中に巣を作っています。ピンクと白の鳩たちがそれを眺めて、クークーと互いに鳴き合っています。王子さま、本当に行かないといけません。でも、王子さまのことは決して忘れません。来年の春には、きれいな宝石を2つ、あげてしまった宝石の代わりに持って帰ってきます。ルビーは真っ赤なバラよりも赤く、サファイアは大海よりも青いものをお持ちします」 
 「下の広場に」幸せな王子さまは言いました。「小さなマッチ売りの少女が立っている。マッチをどぶに落としてしまって、みんなだめにしてしまった。お金を持ち帰らないとお父さんにぶたれるから、しくしく泣いている。靴もストッキングも履いていない。小さな頭にも何もかぶっていない。もう片方の目を引き抜いて少女に与えてくれ。それならお父さんも彼女をぶたないから」 
 「もう一晩一緒にいましょう」ツバメさんは言いました。「でも眼を引き抜くことはできません。そんなことをすると、何も見えなくなってしまいます」 
 「ツバメさん、ツバメさん、小さなツバメさん」王子さまは言いました。「言うとおりにしてくれ」 
 それでツバメさんは、王子さまのもう片方の目を引き抜いて、一目散に飛んで行きました。マッチ売りの少女のところに舞い降りて、手のひらに宝石を滑り込ませました。「何てきれいなガラス!」少女は大きな声を上げて、ころころと笑いながら家に駆けてゆきました。 
 ツバメは王子さまのところに戻ってきました。「もう目が見えないでしょう」ツバメさんは言いました。「ずっとそばにいます」 
 「いや、小さなツバメさん」かわいそうな王子さまは言いました。「エジプトに行かないといけないよ」 
 「ずっとあなたと一緒にいます」ツバメさんはそういって、王子さまの足もとで眠りました。 
 次の日、ツバメさんは一日中、王子さまの肩の上に座って、外国で見たもののお話をしました。紅いコウノトリ。ナイル河のほとりに並んでいて、口ばしで金魚をとるのです。スフィンクス。この世界の始まりからあって、砂漠に住んでいて、何でも知っています。商人たち。ラクダの脇をゆっくりと歩み、手には琥珀のビーズを握っています。月の山々の王さま。漆黒よりも黒い肌で、大きな水晶をあがめておられます。ヤシの木の中で眠る巨大な緑のヘビ。20人の僧侶が蜂蜜のケーキをやります。それから、大きな平べったい葉っぱに乗って大きな湖を渡るピグミー族。いつも蝶々と戦争をしているのです。 
 「小さなツバメさん」王子さまは言いました。「すばらしいことを話してくれるね。でも何よりすばらしいのは男たち、女たちの苦しみだよ。苦難ほどに偉大なる苦難はない。僕の街の上を飛んでくれ、小さなツバメさん、そこで何を見たかを話してくれ」 
 そこでツバメさんは大きな街の上を飛びました。お金持ちの人々はきれいな家の中でわいわいと騒いでいました。乞食たちは門の前に座っていました。ツバメさんは暗い路地に入り、飢えた子どもたちの顔が
力なく、外の真っ暗な通りを見やっているのを目にしました。橋を支えるアーチの下には、小さな男の子が2人、互いの腕に抱かれて横になっていました。何とか暖を取ってぬくもっていようとしていたのです。「お腹が空いたなぁ」と2人は言いました。「こんなところで寝ておってはだめだ」夜警が声を上げ、2人はアーチの下から外へ、雨の中をとぼとぼと歩いていきました。 
 それで、ツバメさんは王子さまのところに戻って、自分が見たものを伝えました。 
 「僕の身体は純金で覆われている」王子さまはいいました。「金を剥がしてくれ。1枚、1枚と剥がして僕の貧しい民に与えてほしい。生きている人はいつも、金(きん)で幸せになれると思うようだから」 
 1枚、1枚の純金をツバメさんは剥がし、王子さまはすっかり鈍い灰色になってしまいました。1枚、1枚と純金をツバメさんは貧しい人々に届けました。子どもたちは顔を赤くきらきらと輝かせ、声を出して笑い、通りで遊びました。「今じゃ、パンがあるよ」と子どもたちは大きな声で言いました。 
 それから雪が降ってきました。雪の後には霜が続きました。通りは銀で造られたように、きらきら、ぎらぎらと輝いていました。水晶みたいなしずくを垂らしたつららが、家の軒にぶら下がって、誰もが毛皮を着て歩き廻っていました。あの小さな男の子は紅い帽子をかぶってスケートをしていました。 
 かわいそうな小さなツバメさんはどんどん冷たくなってゆきましたが、王子さまのところを離れようとはしませんでした。王子さまのことがとても好きだったからです。ツバメさんはパン屋の目を盗んで軒先でパンくずをついばみました。ぱたぱたはためいて、ぬくもろうとしました。 
 でもとうとう、ツバメさんは自分が死ぬのだと分かりました。もう一度だけ王子さまの肩に飛び上がる力が残されただけでした。「さようなら、王子さま」。ツバメさんはささやきました。「手にキスをしてもいいですか?」 
 「やっとエジプトに行くのだね、嬉しいよ、小さいツバメさん」王子さまは言いました。「ここには長くいすぎたね、でも、くちびるにキスをしなきゃだめだよ。だって、僕は君を愛しているから」 
 「僕が行くのはエジプトではありません」ツバメさんは言いました。「僕は死の館に行くのです。死は眠りの兄、そうではありませんか」 
 ツバメさんは王子さまのくちびるにキスをすると息絶えて、王子さまの足もとに落ちてゆきました。 
 そのとき、像の中でぱきんというおかしな音がしました。何かが割れたようでした。実は、鉛の心臓がぱきんと音を立てて真っ二つになったのでした。辺りは実に、恐ろしいほどにひどい霜でした。 
 翌日の早朝、市長さんが議員さんを連れて、下の広場を歩いていました。台座を過ぎると、市長さんは像を見上げて言いました。「まったく、みすぼらしい幸せな王子さまじゃないか」 
 「実にみすぼらしい」と議員さんたちも大きな声で言いました。いつでも市長さんの言うことに賛成するのです。みんなは、王子さまを見ようと上がってゆきました。 
 「ルビーは剣からとれているし、両目もなくなっている。もう金もなくなった」市長さんは言いました。「こいつは乞食も同然だな!」 
 「乞食も同然!」議員さんたちも口を揃えました。 
 「それに、ここ、この足もとには死んだ鳥がいる!」市長さんは続けました。「鳥はここで死ぬべからずと布告せんといかんな」。街の書記さんはこれをメモしました。 
 それで、街は王子さまの像を取り壊しました。「もはや美しくないのなら、もはや役に立たぬ」と大学の美術の教授は言いました。 
 次に街は、像を炉の中で溶かし、市長さんは金属をどうするかを決めるために企業の会議を開きました。「別の像がいるのはもちろんだが」彼は言いました。「私の像でなければならぬ」 
 「私の像ですとも」と議員さんがそれぞれ言い合って口論になりました。私が最後に彼らの声を聞いたときは、まだ口論をしていました。 




 「おかしいぞ!」鋳造所で仕事をしていた男たちの監視員が声を上げました。「この割れた鉛の心臓は、炉の中でも溶けないじゃないか」。それで、皆は心臓をゴミ溜めに投げ捨てました。そこには死んだツバメさんも横たわっていました。 




 「この街でもっとも貴重な2つのものを持ってきなさい」神さまは天使の1人におっしゃいました。天使は、鉛の心臓と死んだ鳥を神に届けました。 
 「よくぞ選んできた」と神さまはおっしゃいました。「楽園の私の園(その)では、この小さな鳥にずっと歌わせよう。そして、私の黄金の街では、幸せな王子に神を賛美させよう」と。