Monday, September 19, 2011


電力事業の独占体制こそを見直すべきだ


このEconomist誌の記事は、日本の電力事業における事実が非常に簡明にまとまっている。そして、挙げられているいくつかの事実は、事実として国民に共有されなければならない。以下(a)-(k)は、この記事で挙げられている事実だ。(c)の後半の記述および、原発が稼動しない場合の経済へのインパクトの数値予想(j)を除き、全て客観的事実が述べられてある。


a)日本は、10の電力会社が、それぞれの地域で独占的に電力を供給している。それら10社の電力供給は、総供給の97%に及ぶ。当然、企業独占は、価格を高止まりさせる。(Economist誌の諸外国との電気料金の比較を見よ)
b)市場が競争的であれば、当然、需要のピーク時には価格が上昇し、需給を調節する。電力需給が逼迫していたときでさえそれがなかったのは、ひとえに電力市場が独占的だからである。
c)現在調査中ではあるが、この地震大国で、(津波ではなく)地震が原発に致命的な損害を与えた可能性が高い。(そうであれば、原発の安全神話は嘘である)また、日本の、他の原発がある地域でも、マグニチュード7を超える地震が相当の確率とともに予想されている。
d)国民は、罰金まで課して15%の節電をした。(電気価格のインセンティブによらず、「我慢」と「根性」でだ。)誰もが停電を予想したが、国民の努力によりそれは起きなかった。
e)一方で、東京電力が、メルトダウンの事実を公開したのは事故から9週間経ってからである。夜の関東地方の夜景に穴が開いたような闇を落とした、あの計画停電のとき、東京電力はメルトダウンの事実を否定していた。
f)政府の初動に批判が集中したが、東電の情報隠匿により、首相にすら重要情報がもたらされなかった。菅は、わざわざ怒鳴りつけにまで行ったのだが。
g)東京電力の昨年の広告費は、260億円(!)である。競合他社がいないにも拘わらず、だ。(他の9つの独占的電力会社の広告費を加えるといくらになるんだろうか)
h)電力会社は、政治家、学会、財界に莫大な影響力を持っている。特に、経団連は、既存の電力会社による電力の安定供給をあてにしており、電力の市場開放に反対している。
i)複数の経団連に参加している企業が、財・サービスを電力会社に提供する見返りに、大幅な電力料金の割引を受けている。
j) 原発が稼動しない場合の影響は深刻だ。これはあくまでエコノミスト誌の予想であるが、1年間原発が稼動しなければ、GDPは3.6%下落し、20万の職が失われるという。このシナリオ通りでなくても、これからも原発が凍結されたままであれば、経済に甚大な影響を与えるのは、間違いない。
k)電力業界への新規参入は、現在では規制の網が「悪夢のよう」(孫正義)であり、極めて困難である。

そして、これは僕の付け加えであるが、東京電力がもつマスメディアへの影響力から、当初なかなかこうした事実は報道されなかった。今でも、かなりの部分はそうであろう。

ここで、(a), (b), (g), (h), (k)は、電気料金の高止まりの要因である。

…ここからは私見であるが、市場メカニズムを導入すれば価格が下落するときに、電気料金の高値を託ち、産業の空洞化を憂うのは(つまり経団連の言い分は)、愚かである。原発を一気に廃止することは、その経済に与える影響からできそうにないが、「減(あるいは脱)原発」のを中長期的に推し進めるのと同時に(記事の中で東電社長が言うように、中期的な「減原発」は、東電の公式見解でもある)、電力事業への新規参入にインセンティブを与えるべきだ。発送電網を分離し(http://kotobank.jp/word/%E7%99%BA%E9%80%81%E9%9B%BB%E5%88%86%E9%9B%A2)、他の企業に発電事業に「本格的に」参入させるのはその1歩だ。これは、電力価格を下げるだけではない。電力価格が下がれば(かつ他の条件が同じならば)企業の投資は拡大するはずだ。

そして何より、多くの国民が、東京電力のこれまでの対応および情報の隠匿に苛立ちを覚え、不信を感じているだろうが、これらは、競合他社があり、かつここまで巨大な影響力をもつ企業でなかったとしたら不可能だったはずだ。地震後、「原発は安い」「いや、嘘だ」という議論の食い違いを何度も見たが、これは、そもそも初めから情報がオープンであれば、結局、賠償額の違いにだけ帰着する議論のはずだ。でも、そうはならない。コストや安全性が不透明なのも、事業を独占的に請け負っており、政財界との癒着があるからこそ可能であった。(あの大事故の後ですら、経営陣にほとんど変更がないのだ。これは、まともなことだろうか。) ほんとうに原発がコストが安いのか、電力が、より競争的な市場で供給されるようになってから、改めて検討したらよい。少なくとも、独占企業には、コストを下げるインセンティブはない。価格に上乗せすればいいからだ。

原子力発電は、経済的効率性の追及の産物だという指摘がある。そうかもしれない。そうで「あった」かもしれない。しかし、仮に原発が、経済効率がたとえ非常にすぐれていたとしても、私たちはいまや、それを無尽蔵に濫立させるのを許すはずがないし、事故が起こったときのリスクは、文字通り国がひっくり返るほど大きいことをよく知っているはずだ。

脱原発の声は大きい。賛成だ。だが、それをすぐに達成できる見込みはない。原発からの電力への依存や、原発立地地域の産業を含めた、日本経済の構造全体が、その早急な実施を不可能にしているからだ。そして、その根を辿っていけば、必ず、電力会社の事業独占と、そこから生じる政界・産業界への利権の問題へとたどり着くはずだ。ならば、同時に、電力事業の自由化・独占から生じた弊害も、同じくらい声高に叫ぶほうがいい。少なくとも、独占事業にメスを入れるという意味では、郵政の民営化よりはずっと重要な政治的課題であることは意識しておくべきだ。(2005年、国民はあんなに熱狂したではないか。)

(参考) 
既存の発送電分離の「中途半端さ」および、技術面からの慎重な検討については、たとえば、WSJ日本版のこちらの記事も参照してください。

2 comments:

Anonymous said...

はてな経由で参りました。
この記事を読むと普通そうな人でよかった、と思った。
最近は、脱原発には、「急進的」の烙印を押して、「お花畑な方々に読んでほしい」といった文句であふれています。

原発のニュースは関心があるので、こうして翻訳してもらえると、ありがたいです。混沌とした感覚のためにも。

中野拓 said...

はてなのブログから関心をもって、こちらの過去のブログまで読んでくださってとっても嬉しいです。

僕はごく普通のヒトですよ(笑)。