Monday, July 11, 2011

黒澤明 『影武者』 映画評



 壮大で迫力ある映像に圧倒される。力強い脚本に呑み込まれる。そして何より、一人の男の演じる「影武者」としての生の儚さに、哀しくなり、同時に心を寄せられる。

 武田信玄亡き後に、信玄の影武者を演じるのは、元盗人。小銭を盗んで磔になるところを、信玄の顔にそっくりだというので、命を助けられ、武田家に連れて来られたのだ。

 影武者は、正体を暴かれないこと、「ほんとうの」自分を極限まで無化することだけが仕事だ。正体がばれてしまえば、用済みだ。偉大なる信玄の亡霊は、彼が生きる唯一のよすがであり、同時に彼をいつでも殺してしまう。彼は、信玄の実の孫を溺愛するようになり、羽目を外した途端、正体を暴かれ、何もかもを捨ててしまうことになる。

 誰にも愛されることがない人間にとっては、「ほんとうの」自分を隠し通すことは、唯一の生きる術ではある。しかし、程度の差こそあれ、私たちは日々、ある意味で自分を無化しつつ、役割を演じながら生きているのだから、そして、私たちも、そうした中でも、少数の気の置けない人との時間を愉しみ、やがて儚くも何もかもが終わってしまうのだから、「影武者」とは私たちでもあるのだ。

 黒澤は、豪胆で魅力ある武人たちを、無数の騎馬を、迫力いっぱいに画面の中で躍らせたが、その前景にいるのは、私たちのような、平凡で、ある意味哀しい生を精一杯生きる、一人の人間なのだ。

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